0326_価値は絶対的なものではなくて相対的なもの

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価値の尺度

市場経済は需要と供給の関係によって成り立っています。当然のように需要のあるものの値段が高くなり、ないものは値段が低くなります。しかし、その値段が対象そのものの正確な価値を表しているとは限りません。例えば、株ではバリュー株と言われるものがあるように、本来もっている企業価値よりも低く値がつけられている株(割安の株)もあります。

市場主義経済では物の価値を価格という尺度でしか図らないため、一般的に安い物には価値がないと思いがちです。しかし、価格が安くても、あるいは価格が0円に等しいものでも価値のあるものはたくさんあります。

無料で価値のあるもの

例えば、ITの業界ではオープンソースと言われる誰でも無料で使えるソースコードがあります。サーバ、データベース、アプリケーションのほとんどが無料で使え、それが一般的に使われており、それがスタンダードになっています。わざわざ有料のものを使わなくてもそれと大差なく信頼して使えるのです。

また、APIと言われるサービスの一部を誰でも自由に使えるように解放されているプログラムもあります。天気予報の情報やGoogleのマップ情報など様々なAPIが無料で開放されています。

こうして考えると当たり前のことですが、価格が0円だからと言って全く価値がないわけではなく、ある人によって無価値だけれども、ある人にとっては非常に価値があるということがあり得ます。つまり、価値は絶対的なものではなくて相対的なものであるということです。

世界で無料で最も価値のあるもの

この世界で無料で開放されている最も価値のあるものは、間違いなく神の言葉である聖書だと思います。書籍も無料で配布されており、アプリでもPCでもインターネットにさえ繋がっていれば、誰でも無料で簡単にアクセスすることができます。聖書を読むのに会員登録も課金も個人情報の入力もパスワード入力も一切不要です。読みたい時にすぐに読めるのです。しかし、実際、聖書は一部の人たちの間だけで価値があるものとみられているようです。

聖書にはこのような言葉があります。「わたしはあなたの聖なる宮にむかって伏し拝み、あなたのいつくしみと、まこととのゆえに、み名に感謝します。あなたはそのみ名と、み言葉をすべてのものにまさって高くされたからです。詩篇138:2」

つまり、イエス・キリストの御名と聖書の言葉がすべてのものに勝って価値があるということです。この世が存在してから現在に至るまで創造されてきたいかなる被造物よりも、あるいは、被造物により創造されてきたコンテンツよりも、イエス・キリストの御名と聖書の言葉が最も価値があるのです。

もし、これらに価値をおく生き方を始めるなら、必ず生き方が変わると思います。僕自身は絶大な価値を抱いているか?という問いにたいしては、NOとしか言えないものです。しかし、ここに価値があると思っているので、残りの人生をかけて追及していきたいです。