0929_風邪で体調を崩すと体はつらいが霊にとっては神の前にへりくだる尊い時間にもなりうる

よく体調を崩すようになった

ここ数年よく体調をよく崩すようになりました。以前なら年に1回高熱が出るくらいだったのですが、今年に入ってからすでに4回ほど体調を崩してしまっています。そのうちの1回はコロナでそれ以外は喉の痛みからくる風邪のような症状です。食事も睡眠もきちんととっているし、何よりもここ数年はこれまで以上に運動にも力を入れているので体調を崩しにくくなるのが正しいはずなのですが思うようにいきません。

僕は陰謀論は信じていないし、加担するつもりもないんですが、変化点がどうしてもコロナのワクチンのような気がしています。コロナ禍以降からどうも体調を崩しやすくなっているのは事実のような気がしています。

体調を崩すときに感じること

今年はよく体調を崩す中でいろいろ考えさせられました。もちろん体調を崩すと家事も仕事も止まるというデメリットがあるのですが、体調を崩すことで気持ちが整理されるというメリットもあります。それは、風邪一つで自分は全く何もできなくなるということを痛感させられるということです。

元気なうちは何でも自分でできると思ってしまいます。それは事実でもあります。しかし、それは時に僕を神の前にへりくだるという姿勢から最も遠いところへもっていってしまうことがあります。「自分で考えて自分で動く」という世の中の流れで言えばなんの問題にもならない考えが神様の前に邪魔になることがあるのです。

自分の課題を見つめる

ここ数年の僕の課題は「救われたときの場所に帰る」ことです。高校生の時に救われて以来、様々な経験をする中で自分自身の考えや思想や信仰に雑念やごみのようなものが大量にたまってしまったと感じているからです。

ここ数年はそのごみやカスや石などを自分の心の中から取り除く作業をずっとやり続けています。なぜそんなことに注力しているかということ、神様の前に少しの妥協も許されないからです。神は聖なるお方で聖さにおいて決して妥協することはできないのです。

少しの妥協も許さないために

ともすると、世の中で生きていると「これくらいはしょうがないよね」とか「みんながしているから」とか「自分はまだましなほうだ」とか言って自分の心に妥協のすきを与えてしまうことがあると思います。せっかくクリスチャンとして生かせていただいているなら、中途半端ではなくがっつり、ガチのクリスチャンとして歩みたいです。

風邪で体調を崩すとき、体はつらいですが、僕の霊にとっては神の前にへりくだる尊い時間になりました。

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