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文句を言うのが人のさが
自分はつくづく、出エジプトした後のイスラエル民族と同じだなぁと思っていしまいます。出エジプトした世代で約束のカナンの地に入れたのは、わずか2名だけで、その他は次の世代でした。その原因は、不平不満を言い、神に感謝しなかったからです。エジプトで奴隷の立場であった時の苦しみを忘れ、荒野で、あれがない、これがないと文句ばかり言っていたので、神様が用意しておられる恵からもれてしまったのです。
僕はついつい仕事の量が多すぎると文句を言いたくなります。でも、もし仕事が少なかったら、それはそれで会社が倒産するんじゃないか、などと文句をゆっているんだと思います。
損をする着方
今日教えられたことは、損する生き方をあえてしようというものです。正直者はバカを見ると言いますが、そういった生き方をしたいと思いました。世の中の流れは、FIREなど早期引退して働かずに生活するや投資運用してお金でお金を稼ぐ方法が主流となっています。そんな中で、ばかかもしれませんが、僕は逆張りで、そういったものに頼らずに、神様だけに信頼して、働いて生きていきたいと思いました。
他の同僚より、仕事が多くても何も言わない。実際は他の同僚のほうが大変なものです。なにより、イエス・キリストの生涯を思えば、仕事のしんどさなんて屁みたいなものです。イエス・キリストは悲しみの人でした。貧しさの中で育ち、汗して働き、わずか33歳でこの世をさられました。そして死に至るまで従順に歩まれたお方です。僕は口ではイエス様に従って行くと言いながら、イエス様の生き方を否定して生きているのです。祝福はほしいが、苦しみたくない。自分を捨てて、自分を否定するのは嫌だと思っていたのです。
自己否定すること
しかし、驚くべきことに神の宝は自分を否定するところの表されます。実は、自己否定や人に仕えると言った徳に神様の特別な祝福があるのです。ですから、それを知っている人は、やみつきになり、さらに自分を否定して、この世では味わえない神様の祝福を得ようとします。そのサイクルが回り始めたら、その人の周りで神様の栄光が現れ、救われる人も起こされれてくると信じます。
ただ、言うは易く行うは難しで自己否定は苦しみの道です。とても痛いです。苦しいです。しかし、そんなこともできない私をお許し、哀れんでくださいと祈る時に、神様は必ず助けてくださいます。人の上に立つことなく、ほまれを受けることなく、下のほうで、小さく神様に仕える、そういった生き方が、知る人ぞ知る恵の生き方なのだと思います。
日々、自分を捨て自分の十字架を負うてしたがっていくと今もう一度決心します。