GPTを使うことの有用性
以前、聖書を読む時に目的を限定してGPTを使うことの有用性を書きました。
聖書にAIなんてけしからんとお叱りを受けそうなので、何度も書いおきますが、大前提としてワインは頭で飲むのと似ているように、聖書は霊で読むものであるということです。信仰を使って霊で読むことによってはじめて聖書から命の糧を得ることができます。
それを前提とした上で、信仰生活を送るには「聖書的な知識」も必要になります。僕はそれを補助的に助けてくれるのがGTPだと捉えています。もちろんGPTは間違った内容を回答する可能性がありますので、注意は必要です。
ルカによる福音書23章
今朝も通勤途中に電車の中でルカによる福音書を読んでいました。ここはルカによる福音書の23章でイエス様が裁判にかけられて、ゴルゴダの丘に向かって歩むいよいよ十字架につけられるという場面です。
そこでイエス様がこのように言っている言葉がありました。
30 その時、人々は山に向かって、『われわれを覆ってくれ』といい、丘に向かって、『われわれに倒れかかってくれ』と言うであろう。
31 もし、生木さえもこうされるなら、枯れ木はどうなることであろうか」。
30節の意味
みなさんは30節の意味がわかるでしょうか?また31節の生木と枯れ木は何を指すのかわかりますでしょうか?僕は長年信仰生活を送っていながらも無知でわかりませんでした。
そこでスマホからGPTに聞くとこのような回答がすぐに得られました。
- 23:30:「その時、人々は山に向かって、『われわれを覆ってくれ』といい、丘に向かって、『われわれに倒れかかってくれ』と言うであろう。」この節は、旧約聖書のホセア書(10:8)を引用しています。これは、神の裁きが来るときの人々の絶望を描写しています。イエスは、エルサレムの破壊とその後の困難な時期について予言しています。
- 23:31:「もし、生木さえもこうされるなら、枯れ木はどうなることであろうか。」この比喩は、無実で罪のないイエスが苦しみに遭うならば、罪深い人々はさらに大きな苦しみを受けるだろうという警告です。「生木」はイエスを、「枯れ木」は罪深い人々や堕落した状態を象徴しています。
ホセア書の引用
僕は30節がホセア書の引用だとは知りませんでした。試しに開いてみると確かにおなじ内容が記載されていました。
イスラエルの罪であるアベンの高き所も滅び、
いばらとあざみがその祭壇の上にはえ茂る。
その時彼らは山に向かって、
「われわれをおおえ」と言い、
丘に向かって「われわれの上に倒れよ」と言う。
ホセア10:8
神の裁きとその正義を強調ということで、この解説を読んで朝から身が引き締まる思いがしました。