0241_元祖不信仰ネガティブキャンペーンをした民

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主を選ぶか?異邦の神を選ぶか?

今日はヨシュア記24章からメッセージがありました。この時、イスラエル民族はすでにモーセの指導のもとエジプトから脱出し、40年の荒野での放浪を経て、次世代リーダーであるヨシュアによって約束のカナンの地に入っていたのでした。神様の約束の地に入ったから、「ようこそ、おいでくださいました。」となったわけではなく、彼らは巨人が住むエリアを攻め落としたりするなどして、神様に頼って自分たちで切り開いていく必要がありました。まだまだ取るべき地は多くあると主はおっしゃっているのです。

この時、ヨシュアは高齢になっており、イスラエルの民に対して遺言のようなものを残します。この時、彼らは神の前に出ていたのです。ヨシュアは、イスラエルの民族にこう迫ります。

もしあなたがたが主に仕えることを、こころよしとしないのならば、あなたがたの先祖が、川の向こうで仕えた神々でも、または、いまあなたがたの住む地のアモリびとの神々でも、あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」
ヨシュア24:15

それに対して、民はこう言い返します。

その時、民は答えて言った、「主を捨てて、他の神々に仕えるなど、われわれは決していたしません。
ヨシュア24:16

そして、ヨシュアが厳しい言葉を投げます。

しかし、ヨシュアは民に言った、「あなたがたは主に仕えることはできないであろう。主は聖なる神であり、ねたむ神であって、あなたがたの罪、あなたがたのとがを、ゆるされないからである。
ヨシュア24:19

不信仰のネガティブキャンペーン

ここでヨシュアは、二心はやめて、いずれかの神を選びなさい。別にあなた方が異邦の神を選ぶならそれでもいいでしょう。とまで突き放したような言い方をしているだけでなく、あなた方が主に仕えるのは無理だとまでゆっているのです。ヨシュアはイスラエルの民の不信仰をずっと見てきた世代でした。イスラエル民族の不信仰により本来不要であった荒野での40年間を経ることになりました。

また、ヨシュアを含む12人の偵察がカナンの地に行った時に、ヨシュアとカレブ以外の10人は、巨人がいるから絶対に行かないほうがいいと不信仰のネガティブキャンペーンを始めたのです。このような経験から、人間の一時的な感情による信仰告白は全く意味をなさないと考えていたようです。

根拠のない自信

僕たちも民と同じ性質を持っています。集会に出て大きな決断をする。聖書を読んで意思決定をする。しかし、日常の引力に引かれて行ってしまい、ついには、何を神様の前に決断したのかすら忘れてしまったりすることがあります。自分自身を見ていても、本当に自分の決断は頼りがないなあと思います。しかし、突き放されて希望が残っていないわけではありません。ヨシュアは民にこのように言い残しています。

ヨシュアはまた言った、「それならば、あなたがたのうちにある、異なる神々を除き去り、イスラエルの神、主に、心を傾けなさい」。
ヨシュア24:23

僕たちの中には意外なほどに、神と敵対するようなものが心の中に存在しています。それは無意識の中に存在するような場合が多くて、意識的に特定するのが困難であり、ついつい、「自分は神に仕えている者だ」と思い込んでしまう弱さをもっています。だからこそ、イスラエルの民も神に仕えることはできると宣言したのだと思います。僕たちが神の前にした意思決定や決断の基礎となった意志を前提に、神様の前に立ち続けることができるようにイエス・キリストに繋がり続けることが必要だと感じています。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
ヨハネ15:5