0175_人はその友の顔をとぐ

反対意見を一切言われない人

仕事をする中で色々なタイプの人に出会いますが、反面教師として自分も気をつけたいと思うタイプの人は、誰からも反対意見を言われない人です。特徴としては、仕事がすごくデキる人で、お客さんすら遠慮して言いたいことを言わない。そうなってくると、いよいよ、周りが何を考えているのかわからなくなって、KY的な発言をしてしまうことになります。

果たして自分には反対意見やそれは違うよとはっきりいってくれる人がいるか考えてみました。僕は元来頑固なところがあるので、学生時代は、友人にきつく怒られたり、たしなめられたりすることが少なくありませんでした。

ただ、社会人になってからはこういった友人と会うことも少なくなり、起こってくれる人はほとんどいないと気づきました。聖書にはこのような言葉がありますので、人格を磨く上で、友は非常に重要な存在です。

鉄は鉄をとぐ、
そのように人はその友の顔をとぐ。
箴言27:17

自己改善のために

KY的な痛い人にならないようにするためには、結局は、友達や信頼できる人から意見してもうことが重要になるので、例えば、尊敬している人にメンターになってもらうのも一つの作戦かもしれません。家族にもできるだけ欠点か改善点を言ってもらえるように、頑固になりすぎず人の声に耳を傾ける姿勢も大切でしょう。

本を読む方法もいいと思いますが、本に書いてあることを行動に落とし込んで実践するのはかなり難易度が高く、多くの場合、読んで満足してしまう可能性が高いと思います。本当に落とし込みたい場合は、手帳に書いて毎日それを見て自分を躾けるくらいの気概が必要に思います。

自分自身を写す鏡

聖書は自分のありのままの姿を見る鏡とも言われています。聖書を読めば自分がどれほど罪深い人間かがよくわかります。神の聖さから言えば、たとえ、心の中で人を馬鹿にしたとしても、それは殺人に値し、心の中でいやらしいことを考えてしまっても、それは姦淫を犯したことと同じになるのです。

聖書が私達を正しい品性を身につけるために必要なのは間違いなさそうです。パウロも言っているように、こういった律法は養育係で私達をキリストに導くものでもあります。今、本当に切実に求めていかないといけないことは聖霊により、教えてもらい、諭してもらい、聖めていただくことです。

その前提の上に立った上で、この社会で生きるための品性も磨いていくのが、いいのだと思いました。いずれにしても、まずは謙遜、次に謙遜、すべてがこれに通じると思います。

主を恐れることは知恵の教訓である、
謙遜は、栄誉に先だつ。
箴言15:33