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早朝のランニング
先日初めて早朝にランニングをしました。コースはいつもと同じですが、見える景色が異なり、たくさんの気づきを得ることができました。例えば、夜ならば全く気づかなかった一角にカフェがあったり、川ではおじさんたちが釣りを楽しんでいたり、同じようにランニングをしている人などがいました。
また、早朝は太陽の日差しが柔らかくて、ほどよく目に眩しく、太陽の日差しを浴びることがこんなにも気持ちがいいものかと感動してしまいました。川に照りつける太陽の光がゆらゆらと揺れて変化し続ける様子はずっと見ていられそうです。さらに、川で群れをなし泳ぐ鴨やランニングコースをどうどうと練り歩く鳩など自然の営みも感じることができました。
暗闇の中に隠されていたもの
そんな気持ちいい気分で走っていた矢先、大変なものが目に飛び込んできました。コースの途中に、大量のう○こが至るところに放置されているエリアがあったのです。避けるように走ってう○こエリアを抜けましたが、夜に走っていた時は全く気が付かなかったので、これまでに何度も踏んでいた可能性が非常に高いです。各種状態を見る限り、新鮮なものから放置されて数日経過している劣化したものまで様々だったので、どこかの犬の飼い主が常習的に全く処理をせずに犬に用を足させているようです。
走っている時に、この言葉が降りてきました。
あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。
テサロニケⅠ5:5
あなたがたは、以前はやみであったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい。
エペソ5:8
なぜ、う○こに気が付かなかったといえば、真っ暗闇の中を走ったからです。確かに、ライトはつけて走っていますが、足元は照らさずに前方数メートル先をぼんやりと照らすので、目視できませんでした。もし、闇の中を歩き続けるならば、全く自分が知らない間に、う○こを踏んでいる可能性があるということです。
光の中を走る
今や、恵みにより、憐れみにより、イエス・キリストの救いに与り、夜の者でも、闇の者でもなくなりました。聖書ははっきりと宣言します。「今や光の子であり、昼の子なのである」と。以前は無自覚、無意識のうちに、自分を不快にするもの、自分に害があるものなど悪しき影響を強く受けていたと思います。しかし、今は、主にあって光とさせていただいており、そういった害からは主にあって、無害化されていることに深く感謝しました。
夜は気づかない段差があったり、空き缶を踏みそうになったりと、比較的危険が満ち溢れているので、次回からは早朝に走るようにします。主にあって光の子らしく走ろうと思います。