0452_パブリックな祈りとプライベートな祈り

パブリックな祈り

僕にとって、神に祈るということは、よくわかっているようで、実はあまりよくわかっていません。場面、形式、人数などによっていろいろな祈りがあります。最も典型的な見える形の祈りは礼拝における1対Nで公に祈ることだと思います。その他、スモールグループなどで、特定のクローズドな場面で公に祈ることもあります。

こういった祈りはTPOに配慮しつつ、言葉を選びつつ、霊的、かつ理性的に、時によっては相手の立場になって祈ることが求められると思います。パウロはこのように言っています。

すると、どうしたらよいのか。わたしは霊で祈ると共に、知性でも祈ろう。霊でさんびを歌うと共に、知性でも歌おう。そうでないと、もしあなたが霊で祝福の言葉を唱えても、初心者の席にいる者は、あなたの感謝に対して、どうしてアァメンと言えようか。あなたが何を言っているのか、彼には通じない。
コリントⅠ14:15-16

こういったパブリックな祈りは誰かの祈り方を見たり聞いたり真似をしたりして、学ぶことができます。

プライベートな祈り

一方でプライベートな祈りもあります。これは、TPOを気にする必要もない自由にできる祈りです。それは自分がたった1人で神様に向きあう祈りです。それは神の子として「アバ父よ」と叫ぶ祈りかもしれません。イエス様はこのようにおっしゃいました。

あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
マタイ6:6

イエス様は模範も示してくださいました。イエス様は福音書のあらゆるところで、朝早く1人で寂しいところへ行って祈っておられたのです。それは日常から離れて1人になって静まって神様に向き合う時間です。

プライベートな祈りはいかなるものか

僕は、この一人になってする祈りをもっと学びたいと思っています。ただ、この祈りは非常に個人的なものなので、誰かの祈りを覗いたり、教えてもらったりすることはなかなかできません。

僕が知っている祈りは僕が小さい頃に見た母の姿です。母は日常生活において、家事や仕事の合間に部屋に閉じこもって1人でよく祈っていました。部屋から祈りの声が聞こえてくることもあれば、聖書の御言が聞こえてくることもありました。

まだまだすぐに1人の部屋に駆け込むというところまで習慣化はできていませんが、もしこれを読んでいる方で、こういったプライベートな祈りをしているよというのがあればぜひコメントいただけると幸いです。

おっさん
■祈りにはパブリックな祈りとプライベートな祈りがある
■パブリックな祈りは表現を真似たり学習しやすい
■一方でプライベートな祈りは見えないので、別途学ぶ必要があるのではないだろうかと思っている

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