0246_たまひよの炎上記事を読んで思ったこと

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たまひよの炎上事件

先日Twitterで、ベネッセが運営している「たまごクラブ」と「ひよこクラブ」が炎上しているのを見ました。深堀りしても何の役にもならず、ただの時間の浪費になるとわかっていながら、深堀りして読んでしまいました。もともと、ここ数年、たまひよは科学的根拠のない妊娠や子育ての記事を載せているらしく、定期的に炎上しているそうです。今回は、たまひよに寄稿されている子育て漫画の内容が炎上したというのです。

リンクは載せることもしませんし、かいつまんで、テキストで説明しますと、パン屋さんのパンが大好きだけど、ベビーカーを押しながらトングとトレーを持ってパンを取って買うのは難しい。かと言ってベビーカーを店で畳んで置いておくのも大変。だから、お店の人がパンを選んでいる間、こどもを抱っこしてくれるといいな。というものでした。炎上したのは最後の一言に対してで、「何様?こどもいたら王様かよ。」とか「パン屋でパン買うな!」とか「パン屋の店員なんだと思ってるんだ!」とか、これよりも数百倍ひどい罵詈雑言がTwitterやInstagramに溢れかえっていました。

吊し上げについて

僕はこういう記事に関してはノーコメントにしておきます。どんな表現がどのように伝わるかは予測不可能で生きにくい世の中になったと思います。こっちはおふざけで水鉄砲で水をかけただけなのに、相手はRPGのロケットランチャーを打ち込んできたと思うことだってあるようです。今回の場合は、何の悪意もないと思います。子育てしている母親の大変さ、そうなんだな〜くらいで読めばいいものを、これ見よがしに口撃するのです。個人的にTwitterをやめて人生だいぶ豊かになったのですが、最近はInstagramにまで、そういったユーザーが流れ込んできてしまっていて、Instagramも遅かれ早かれ汚染されてしまいそうで残念です。

こういった口撃は、あら捜し、重箱の隅をつつくレベルではなく、吊し上げ、公開処刑の様相を呈していて、見ていて非常に不快です。誰かを叩きたい、誰かを吊し上げたいという人間の罪の性質が現れていると思います。

誰がイエスを殺したのか?

昔は公開処刑やローマのコロッセウムなどが民衆のガス抜きとして使われていたようです。残酷な殺し合いが娯楽だったのです。今ではそれに変わってSNS上での炎上、吊し上げですから、命は殺さなくても、精神をずたずたにしているので、やっていることは同じです。命を奪ってしまうことすらあります。

もし、あなたが、わたしはイエス・キリストを十字架にはつけていないというのなら、自分の心の中を見てみてください。心の中に誰かを妬んだり、不平不満をもったり、高慢に振る舞ったことはありませんか?神様の前ではこういった目に見えないことも罪なのです。イエス・キリストはこのためにも死んでくださったのです。だからも僕もあなたもイエス様を十字架につけたのです。だから、僕はSNSで批判している人に対してどーこーいう立場ではなさそうです。

まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
イザヤ53:4