中国で感じた「個人的経験」が対神感情を決定的にする理論

先週の土曜日、聖歌隊の練習が終わったあと、一人の姉妹に車で家まで送ってもらいました。

クリスチャンは同胞のことを、男性は兄弟、女性は姉妹と呼ぶ習慣があります。

私のほかにもう一人同乗し、3人で車内での会話を楽しみました。私が助手席、もう一人の姉妹は後部座席に、それぞれ乗り込みました。二人とも主婦で、幼稚園に通っているお子さんがいらっしゃいます。運転手の姉妹と後部座席の姉妹が、子育てのこと、仕事のこと、教会のこと、色々な話を始めました。

しばらくして、話題が個人の給料のことに及んだ時、運転手の姉妹がすかさず、私にこう言った。「ごめんね。中国人は日本人と違って、すぐに給料とか、個人のプライバシーの話をするけど、気にしないでね。」私はこういう話題も慣れたから、全然気にしていないことを伝えた。気遣いがとても嬉しかったです。

話を聞いていると、どうやら後部座席の姉妹は、二つの仕事を掛け持ちしているようです。一つは学校の給食を作る仕事。もう一つはマクドナルドでのアルバイト。

前者は正職で、後者は時間がある時だけしているらしいです。マクドナルドでのアルバイトは時給10元(170円程度)。日中は子供を幼稚園に預け、仕事に出かけ、週末は教会で奉仕をしているみたいで、仕事、子育て、家事、教会の聖歌隊の奉仕で一週間があっと言う間に終わり、自分の時間などなそうです。

日曜日にしか会わないと、奉仕を通して見たその人の一面しかわからないため、今回、日常生活の彼女の意外な一面を知って驚きました。

彼女は聖歌隊のメンバーなので、顔見知りでしたが、これまで一度も話したことがありませんでした。また、彼女は身長が非常に高く、また体も大きいので、大変失礼ではあるが、私の彼女に対するイメージは、ただ「大きい人」というものでしかありませんでした。しかし、今回彼女の生活の事情や大変さを知って、距離が急に縮まった気がして、同じ聖歌隊に属する者として、関心をもち、祈り合っていきたいと思わされました。

このように、「第一印象」や「わずかな一面」だけで、ある人のイメージが形成されることは多くあると思います。「ある人に対する第一印象やイメージ」について考えた時に、国際コラムニストの加藤嘉一氏の中国人の対日感情に関する分析を思い出しました。

氏は自身の書籍の中で、中国人の対日感情に占める教育の割合は、「家庭」・「学校」・「社会」それぞれが、「3・3・3」と言った上で、これよりも一番重要なのは、残りのプラスワン、
「個人的経験」であると言っていました。これが他の要素よりも重要で、決定的に対日感情を決めると言っていました。

確かに今回の件も、もし、彼女の生活の実情や大変さを知らなかったら、私の彼女に対するイメージは、悲しいかな、いや、失礼かな、「大きい人」で終わっていたに違いないです。

また、この加藤嘉一氏の分析は私たちの対神感情にも応用できるのではないかと思いました。
仮に、人間の対神感情に占める教育の割合を「家庭」・「教会」・「社会」に分割し、それぞれが「3・3・3」であるとしても、やはり、「個人的経験」が決定的になるのではないかと思います。その個人的経験というのは、例えば、

聖書を読む中で神が語られたこと
祈りの中で神が語られたこと
生活の中で感じた神の助け
新しい命の実感など

クリスチャンの家庭に育つのもいいし、教会へ毎週行くのもいいし、社会で神学を勉強するのもいい、しかし、決定的なのは「個人的経験」であると思います。

あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいけないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。

カナンの地は今日も輝いています。