0703_ホスト役として一番つらいのは「つまんない一日だった」と思われること

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聞かれたいのり

先日大切な体験をさせて頂きました。それは「神が祈りを聞いてくださる」ということです。これはクリスチャンにとって当たり前のことかもしれません。しかし、僕は長い間忘れていたことを思い出したのです。それは、周りの人のために祈って行動することです。

その一連の過程をととして、言葉には尽くせない恵みに満ちた時を体験させて頂きました。

祈ったこと

今月には3名の来客の予定がありました。僕は数日前からその交わりが祝福された時となるように真剣に祈りました。お風呂の中や食事の時や自分の部屋の中で祈りました。もし、その交わりの中心にイエス様ご自身がいてくだされば、そこは天国のような場所になると信じています。しかし、もし、イエス様がいないなら、神様の祝福や恵みからもれてしまいます。

僕がホストとして、できることは当日の実際的なサービスと祈りしかありません。いくらサービスがよくてもそこにイエス様の祝福や恵みがなければ、僕はホストとして失格です。なぜなら、自称クリスチャンである以上は、神様の祝福や恵みが溢れるような生き方ができなければ、存在している意味がないと思っているからです。それは僕自身が自分自身に対して求めていることです。

祈った結果

来客当日は、ドキドキしていました。なぜなら、「つまんない一日だった」と思われるという恐怖がやってきたからです。あるいは、自分の発言によって地雷を踏んでしまったり、気の利いた面白いことを言えるかどうか、不安になったからです。

しかし、当日は、たとえ僕がそこにいなかったとしても、祝福に満ちた場所になったことでしょう。なぜなら、イエス様がその場所にいてくださったからです。話にも花が咲き、笑いがあり、深い話がありました。そして、そこには誰かの噂話や不平不満もなかったのです。

僕が席を外したり、トイレに行ったりするときも、神様に祈りました。「ここにあなたがいてください」と。みんなは帰りを惜しみながらも夜遅くまで滞在してくれました。

周りの人のために

僕はこの体験を通して教えられたことがあります。それは、神の御心に沿った祈りは聞かれるということです。もし、僕が自分のことばかり祈っていたら、こういった体験はきっとできなかったでしょう。

イエス様は周りの人のために真剣に祈ることを喜ばれます。そして、イエス様が喜ばれることは、つまり、人間にとってこの地上において最大の喜びなのです。僕はこれまでもう十分すぎるほど自分のために祈ってきました。これからは、いや、今日からは周りの人のために「真剣」に祈ります。

おっさん
■神の御心そった祈りをイエス様はこの上なくおよろこびになる

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