特別なクリスマス
昨日は道を歩いていると、ケーキ屋さんに行列ができており、大勢の人が予約したホールケーキを受け取っていました。今日もケーキ屋の中を覗くと通常のケーキは一切ならんでおらず、予約されたケーキだけが並んでいました。そんな日常の景色を見て、多くの人にとって、クリスマスはやっぱり格別なんだなと思いました。
クリスチャンになると当たり前のようにクリスマスを迎えます。多くの教会では、待降節から始まり約1ヶ月近くイエス・キリストの御降誕に思いを馳せます。昨年はコロナ禍で教会でのイベントも縮小気味だったかもしれませんが、InstagramやYoutubeを見る限り、割とどこの教会も感染対策をしながら、通常どおりのイベントを開催しているようでした。
教会で過ごすクリスマス
家族や友人、あるいは恋人と過ごすクリスマスも素晴らしいと思いますが、はやり教会で過ごすクリスマスが一番格別です。二人または三人がイエス・キリストの名のもとに集まっているところにイエス・キリストもともにいてくださるからです。イエス・キリスト誕生の700年も前から、おとめが身ごもり、男の子を生み、その方はインマヌエルと呼ばれると預言されていました。インマヌエルとは「神が我らと共にいます」という意味です。イエス・キリストが寒い汚い馬小屋で生まれたのは、僕たちのそのような心に来てくださるためです。
クリスマスをお祝いする回数
毎年、桜を見る度に、この桜はあと何回見れるんだろうと思いながら見ます。人生100年時代と言われていますが、天災人災でいつ命を落とすかもわかりません。僕の場合、もし、80歳まで生きれるとしても、あと45回しか見ることはできません。同じように、この地上で、イエス・キリストの御降誕をみんなでお祝いできるのも、残り45回ほどしかありません。そう思うと、この地上での生活は飛び去るがごとく過ぎ去っていき、いかに短いかが実感させられます。
キリストがきてくださったこと
イエス・キリストが地上に来てくださったことによって、すべてが変わりました。僕が人間として感じるすべてのことをイエス・キリストだけがわかってくださるからです。辛さ、悩み、痛み、悲しみ、すべてを経験され、共にいて励ましてくださいます。また、すべての喜び、楽しみ、明るさに共感してくださり、共に喜んでくださいます。そして、最終的には、この罪深い人間が裁判で裁かれるべきところを、代わりに裁かれ、僕を無実な者としてくださいました。
それは、僕が神と和解し、神と共にいきるためです。
面白い友人が一緒にいると面白いように、イエス・キリストが共にいると感謝、喜びが満ち溢れます。なぜなら、イエス・キリストは幻想や思い込み、想像上の存在ではなく、事実、心の中に存在してくださっているからです。
「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。
その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。
これは、「神われらと共にいます」という意味である。
マタイ1:23