説教を聴いて
先日Youtubeで牧師先生がこんなことをおっしゃっていました。「キリストの大きな恵みと愛に圧倒されて、自分自身の生き方が180度変わる体験があります。しかし、それ以降は自分自身でイエス・キリストを選択し続けて、自分が新しく造り変えられることをしないといけない」
これを聴いた時に過去の自分のことを思い出しました。僕自身もこの牧師先生がおっしゃったようにキリストに出会う体験をするまでは自分勝手に生きてきました。当時は、パンクロックにはまりこんでいたので、バンドをやることに自分の存在を見出していました。耳には複数のピアスを開けて耳たぶの穴から反対側の景色が見えるほどに大きなピアスを開けていたほどです。
救われると生き方が変わる
そんなキリストの救いから最も遠くにいるような僕にすらキリストの愛が示されました。その時以来、生き方がすっかり変わりました。自分で変えたのではなく、変わったのです。バンドもやめて、ピアスもやめて、大学でもサークルに入ることもなく、できる限りのすべての時間をキリストに捧げたいと思うほどに生き方が変わりました。
しかし、残念ながら当時の熱い温度感のままずっと信仰生活を送り続けられたわけではありません。それは、第一に僕の信仰がまだまだ未熟だったからです。当時僕は体験主義的な傾向が強かったので、自分の感情や体験の上に信仰を築こうとしていたのです。
次の段階がある
表現はよくないですが、救われた当初は、初心者ボーナス的に大きな愛と恵みに容易に触れることができていたのです。そして、その初心者ボーナスにいつまでも甘えたいという未熟さがあったのです。もし、体験や感情の高ぶりなどがなければキリストは共にいてくださっていないという不健全な信仰にすら陥っていました。
しかし、様々な経験をしたり、多くのクリスチャンと出会う中で、御言に杭を打っていく信仰を送ることを学んでいきました。キリストの御言にかたく立ち、かつそれを実行していく生き方です。
大人のクリスチャンになりたいなら
もし、大人のクリスチャンになりたいなら、自分で御言を食べて、御言に杭を打って、その御言を自分の中に打ち込んで覚えて絶対に離れないようにしなければなりません。その状態になって初めて御言を自分の中で回し続けることができるようになります。そして、生活の隅々、至る所で、御言を試行錯誤しながら、キリストにより頼みながら、実行できるようになると信じています。