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ともしびが消えないように
ここ数か月、サムエル記から歴代志下を読む中で聖書から語られたことがあります。それは今の自分の信仰があるのは、イエス様が僕の心に宿った信仰のともしびが消えないようにしてくださっているからということでした。
イスラエルの王の歴史は、サウル王から始まり、神の御心を求める生き方に徹したダビデ、そのあとをつぐイスラエルの絶頂期であるソロモン、それ以降は、イスラエルはユダとイスラエルに分裂してしまいます。
神とダビデとの契約
以降、それぞれの王様がどのように生きたか?が列王記や歴代志に書かれているのですが、イスラエルのほとんどの王は主の道を歩まず、偶像礼拝を捧げ、姦淫の罪を犯し神に喜ばれない生き方をしました。一方、ユダの王はイスラエルの王とは違い、ダビデが歩んだように歩んだ、あるいは歩もうとした王が多く登場します。
以前も書いたように、ほとんどの王は主の心を求める生き方をしたとしても、一部で主に喜ばれない生き方をしていました。しかし、主はそれであってもユダに憐れみを垂れてくださったのでした。列王記から歴代志に至るまでなんどもこのような御言が書かれています。
主はさきにダビデと結ばれた契約のゆえに、また彼とその子孫とにながく、ともしびを与えると約束されたことによって、ダビデの家を滅ぼすことを好まれなかった。
歴代史志21:7
新しい契約
冒頭の言葉に戻りますが、僕が今信仰生活をできているのは、自分が真面目だったからとか自分が信仰深かったからとかではありません。ただ、ユダの王様と同じように僕の心に宿った小さなともしびを主が消えないようにしてくださってるだけに過ぎないということです。
なぜなら、自分は一部では主の御心にかなったように見える生き方をしていたとしても、ユダの王と同じく完全には主の御心に沿った生き方ができていないからです。それでも、僕を受入れてくださっているのはイエス様の十字架による新しい契約(新約)によっているだけにすぎません。
十字架による
そして、イエス様がペテロに対して最後の晩餐で、信仰がなくならないようにとりなして祈ってくださっていたように、今もなお、こんなレベルの低いクリスチャンのためにすら
信仰のともしびがなくならないようにとりなしてくださっているのだと思いました。
今あるのはただただ主イエス様の十字架による新しい契約によるのです。感謝です。