1031_福音派の賛美とペンテコステ派の賛美

賛美の違い

ペンテコステ派の教会から福音派の教会に来るようになってから、教会といっても色々と違うところがあるな~と思わされることがありました。先に書いておきますと、前提としてペンテコステ派と福音派をきっぱり二つに分けることはできないので、おおよそそういう傾向があるのかなと思うことがありました。

一つは賛美に関してです。今僕が行っている教会では礼拝中に賛美を三曲捧げるのですが、いずれも楽譜通りに賛美をして終わります。2曲は新聖歌から1曲はコンテンポラリーな曲から賛美されます。多くのペンテコステ派の教会がするようにワーシップリーダーと言われる人が前に立ってその場その場で賛美を導くスタイルではありません。

最も大切なこと

最初礼拝に参加した時に物足りなさを感じました。「もっと賛美したい!」と思ったのです。しかし途中から考えを変えました。楽譜通りにしか賛美しないとなると、1番を賛美するチャンスは一回しかありません。繰り返されることがないからです。だからこそその1節1節に心を込めて魂込めて信仰をもって賛美しようと思ったのです。

ペンテコステ派の教会だと1曲でも数回繰り返されることが多く5分~数分賛美することがあります。しかし、楽譜通りだと3分くらいで終わってしまうので、その3分ほどにすべてをかけて賛美をする姿勢が身に付きました。

僕はこれまでこれほど真剣に歌詞に思いを込めて賛美していたのか?と反省してしまいました。何度も繰り返されるから、悪く言えば惰性で賛美してしまっていたのではないかと思わされたのです。

TPOと秩序

楽器はピアノとオルガンのいずれかで、たまにコンテンポラリーな曲を賛美する時にギターが入ります。若かったころは楽器編成に物足りなさを感じていたかもしれませんが、今は何も思わなくなりました。大切なのは周りや環境ではなくて、自分自身と神様との関係であり、自分がどのような心で主を賛美するか?だからです。

楽器編成や賛美の曲はその次に考えることであって、その場合も秩序が大切です。教会においてもTPOが大切だと思っています。集会に集う年齢や属性から考えるべきだと思っています。

別枠でチャレンジしよう

といっても若い人はまた別の考えをもっていると思います。確かに主を愛してはいるけれど、やっぱり堅苦しいとか古臭いとか思ってしまうものです。伝道しろとは言うけど、こんなところに連れてきたくないと思うかもしれません。なので、伝統や秩序を守る礼拝を堅持しつつ、別枠で若い人たちが表現したい賛美の方法で賛美する機会を提供してあげるべきだと思っています。

僕も含めて大人は「なんでもやってみたらいいよ。失敗してもいいから。」と言いますが、実際は言葉のどこかで「失敗は許さないぞ」とは思っていなくても、「それはやめたほうがいいんじゃない?」みたいな気持ちをもってしまうものです。そうであっても、まずは1回やってみたらいいと思います。なぜなら、主は若い人たちに直接語りかけて教えてくださるからです。

そういった教会になれるように祈っています。

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