0056_1時間労働で1日分の給与を支給される

リモートワークをしてから2週間が経過しました。生産性でいうと、初週の体感値は2割落ちでした。二週目からは、ちょっと散歩に行ったり、オンとオフのメリハリのつけ方を工夫したりすると、1割落ちくらいまでに抑えられています。僕は修行も足りないし、つくづく自制心の弱い人間だと知っているので、できればオフィスに行って仕事をしたいものです。

そのほかで感じているのが、同僚の生産性の把握です。他者の生産性の把握は、相手を信頼するしかないと思います。ただ、僕は器が小さく、修行が足りないので、アウトプットを見て少し疑問に思ってしまうこともないわけではありません。自分自身の生産性が1割~2割落ちているので、人のことは言えないはずですが、気になってしまうことがあります。

今日読んだ聖書箇所(サムエル記上30:10-25)にこのような記述がありました。

ダビデが600人の従者を連れてアマレク人を追撃に行く時に、200人は疲れてしまったため、川を渡れなかったそうです。そこで、残りの400人で追撃を行い無事アマレク人を打ち破り勝利に終わるのですが、そこで、このような問題が起きました。

戦闘に参加した400人のうちの悪い人たちは、疲れて戦いに参加しなかった200人には「報酬は与えるべきでない」と主張しましたが、ダビデは、主がくださった勝利だから、そのように判断すべきでないと主張し、戦いに参加しなかった200人にも同様の報酬を与えました。

この御言を読んだときにイエス様の言葉を思い出しました。

あるぶどう園の主人が1日1デナリの報酬で労働者を雇いますが、労働者の中には、当日の12時、15時、17時に雇い入れられた者がいました。1日フル出勤した者もいれば、たった1時間しか勤務しなかった者もいたようです。しかし、雇い主は、全員にもれなく、1デナリの報酬を与えました。そこで、1日フル出勤した者が不公平だと主人に愚痴りますが、主人はこのように答えました。

わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。
20:14-16(口語訳)

1時間のアウトプットしか出してないのに、同じ給与が支払われるのは、なんとも不満を抱きそうです。しかし、「自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。」のとおりです。

僕が雇い主でもないのに、何を偉そうに同僚の生産性のことで口を出そうとしていたのかと、大変反省しました。また、イエス様がなされた十字架の勝利の御わざの恵みと祝福は、信じる者全員にもれなく開かれていることを今一度思い知らされました。