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中国とビジネスをする時
6年ほど前に中国から帰ってきて以来、ずっと中国と関係のある仕事をしていますが、非常に難しく感じるのが、日本人の発注元と中国の開発会社の間に入って進めるプロジェクトです。中国人とビジネスをする時は、特に3つの「没」に気をつけろと言われています。
1つ目が「没问题」(大丈夫)です。発注元からの仕様要件をまとめて中国の開発側に確認する時、「できない」と言われることはありません。ほぼ「簡単だ!大丈夫だ!」というニュアンスで「没问题」が連発します。
2つ目が、「没关系」(大丈夫)です。正式に発注が決まりスケジュール通りに開発が進むことはなく、進捗に顕著な遅れが出始めます。そもそも技術的に実現可能だったのか?なぜ開発が予定よりも遅れているのか?などを中国の開発側に確認すると、「気にするな!大丈夫だ!」というニュアンスで「没关系」と言われます。
そして、3つ目が、「没办法」(もうだめだ)です。納期通りにリリースできないどころか、どれだけ時間をかけて開発しても完全にお手上げ状態になります。だから最初に言ったじゃないか!どうするんだ!と聞くと「没办法」と言われるのです。
言語的習慣による障壁
これは極端な話ではなく、本当に中国ビジネスあるあるです。この他にも言葉や文化の違いから様々な問題が起こります。日本側と中国側とでファイルのやりとりをする時は、原則ファイルを全部翻訳してから共有するのですが、最近では簡単なファイルのやり取りであれば、機械翻訳を使ってやり取りをすることがあります。ただ、それでも意思疎通ができない場合は、人間翻訳を挟む必要が出てきます。
日本人側は割と丁寧に、「こちらのURLを参考にして頂けますと幸いです。」みたいなコメントがあるのですが、それに対する中国側の返信は「没有权限」(アクセス権がない)のような漢字4文字だけで、いかにもそっけないような回答に見えてしまいます。別に中国人がそっけなく対応しているわけではなく、言語的に習慣的にこのように簡潔に書くだけなのです。
もし、これをDeepLなどの機会翻訳で対応した場合「許可なし」と表示されてしまい、日本人の人が見た場合いい気はしません。こういった細かいところから、「アクセス権限がありませんので、付与していただけますでしょうか?」のように翻訳しないと関係が悪くなってしまうこともあります。
よき導き手
外国人同士が意思疎通する時だけでなく、聖書を読む時も同じような問題が起こってしまいます。様々な解釈ができるがゆえに、キリスト教にも様々な教派が生まれているからです。神が人間に与えた聖書を人間が正しく理解することほど難しいものはないかもしれません。旧約聖書に関して言えば、ユダヤ人は間違った理解をして神の御心を大なしにしているとイエス・キリストは叱責されました。
神の御心を明確に表したのはイエス・キリストのほかありません。イエス様が天の父との仲保者になってくださいました。ですので、正しく聖書(神の御心)を理解したければ、イエス・キリストに助けを求めること、さらには御霊が正しく理解できるように翻訳者のような働きをしてくれるのだと思います。
「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)