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肉に勝つ力
昨日はキリストは霊であるにもかかわらず、この地上にいる時間においては、人間は霊的な存在であり、かつ肉体ももっているので、肉と戦い続けないといけない厳しい現実があると書きました。そして、その肉との戦いの土俵に立つ条件として、悔いるだけではなく、改めることが必須であると感じていると書きました。
しかし、それでも、僕にはその土俵の上で肉に勝つ力がないことを知っています。たとえ、涙を流して決心しても方向転換しても、前に進む力がないのです。
聖霊
土俵の上で肉と戦うために、キリスト教では使い古された言葉があります。それは「聖霊に満たされる」ということです。復活したキリストが肉体を持っていない以上、聖霊なる神がこの地上でキリストの力を付与して、罪に打ち勝つ力を与えてくれるのです。そして、聖霊こそがキリストの愛で人間を満たし、愛を実行する力を付与してくれるのです。
しかし、恥ずかしいながら、僕自身はこの力を少し知っているだけで実際はほとんど知っていないということを認めざるを得ません。もちろん、これまで祈りの中で神に触れられて恵まれたり励まされたり愛に満たされることはありました。また集会や交わりの中で聖霊に触れられて、神の恵みや祝福を体験することは多くありました。
プライベートの時間において
しかしながら、そういった聖霊の力や働きが「自分の個人的な生活」のレベルで力が現れるというのをまだそれほど体験していないのです。もちろん、キリストに救われる前と後では、だいぶましな人間になったと個人的には思っています。しかし、まだまだ自分には肉的なものがたくさん残っているのも知っています。
だからこそ、自分の内側に沸き起こってくるこの肉的なものをキリストの力で打ち勝ちたいと強く願っています。試行錯誤をする中で、最近実践して効果が期待できることがあったのでご紹介したいと思います。
わかっている状態から実際にやる
それは、強制的に1時間ほど時間を天引きして、スマホも近くに置かずに誰にも邪魔されない環境を作るということです。これは主の前にデボーションをする者として、ごく当たり前のことだと思います。しかし、僕は当たり前のことができていないのです。わかっていてもやっていないなら全く意味がありません。
聖書を読んで、御言を告白して、神様からの語りかけに耳を傾けて30分、そこから、様々な課題の祈りをするとやはり30分は必要になります。朝だと後ろがつまっているので、今日は10分だけ!とか言い訳してなかなかゆっくりとした時間を取れないことが多くありました。
しかし、寝る前にこの1時間をもつようになってから、自分の個人的な生活のレベルで聖霊の力が表れているのを感じるようになりました。正直、まだこの行動を習慣まで落とし込めてないので、まずは3週間実践してみようと思っています。