1030_どんなおっさんでも神の子という立場で天の父に甘えられる

それぞれの立場

人は誰でも様々な立場を持って生きています。例えば、会社では社会人として部長という立場、家に変えると父としての立場、実家に帰ると息子としての立場、教会では信徒としての立場、保育園では保護者としての立場、地域ではPTAの会長という立場、色々あると思います。

誰でもわざわざそれを意識する必要もなく、それぞれの時と状況に応じてその立場に順応して生きています。クリスチャンとして生きていて幸いだと思うのは、神との関係性の中にある立場が与えられていることです。

最も大切な関係

一番大切な立場は赦された者と許した者という関係です。すべてはこの土台の上に成り立っています。たとえクリスチャンとしてうまくいかないことがあったとしても、道から外れることがあっても、最終この関係に戻ることができればなんとかなります。心からの偽りのない悔い改めこそがいつもこの関係に戻してくれます。

この土台の上に次の立場が続きます。まず、神は仕える側ではなく仕えられるべきお方であるので、クリスチャンは神の僕であります。また、神は僕たちを造った創造主であり、僕たちは被造物であります。また聖書ではイエス様は罪人に対して友と呼びかけて友となってくださいました。

神の子としての立場

僕が今日礼拝をしている時に感じた感謝だという関係は父と子の関係です。これは神の子として神の前に甘えることができる関係です。旧約聖書の詩篇にはこの甘い関係がたくさん書かれています。

主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない。
詩篇23:1

ダビデは天の父との関係を牧者と羊に例えました。良い羊飼いは羊のために命を捨てるのです。一匹一匹名前で呼びかけて、命がけで羊を守るほどの羊を愛しているのです。この愛の関係に戻る時に張り詰めていた心は溶かされます。

本当の休息

また同じく詩篇にはこのような詩もあります。

わたしは安らかに伏し、また眠ります。
主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、
ただあなただけです。
詩篇4:8

他の聖書箇所では御翼に覆われて休む雛の様子と例えらていますが、天の父の御手に抱かれてすやすやと安眠する情景です。天の父のもとでこそ始めて本当の安息と休息と平安が得られるのです。

一昨日は頭が仕事のことでいっぱいで切り替えができくて日常生活に支障をきたしたと書きましたが、礼拝に出て天の父と交わり神の子として休息できたことに感謝いたしました。最近聴いている賛美に「I run to in your presence for it’s the place where I am truly free.」という歌詞がありました。本当にそうだと思います。

Planetshakers
You Have My Heart

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