嘘も方便
嘘も方便とありますが、クリスチャンのみなさんは嘘をどのように扱っておられるでしょうか?ビジネスをする上では確かに「蛇のようにさとく、鳩のようになおく」なければいけません。何の戦略も持たずに弱みを見せるようなことがあれば、弱みに付け込まれてしまいます。たとえ、表向きは礼儀正しく見えても誰だってビジネスライクなのです。
僕は新卒で入社したメーカーでこの嘘も方便が全くできませんでした。正直ベースでいきなりすっぽんぽんになって交渉の余地を全く残さなかったのです。それで上司にひどく怒られることが多かったです。心の中では「なんで嘘をついてまでわざわざ交渉しないといけないんだ」と社会不適合者的考えをしていました。
知恵が必要
しかし、その後中国へ行ったり日本で再就職する上で、確かに嘘も方便も必要だ思うようになりました。もっとも表現を変えて言えば「知恵が必要」だということがわかったのです。嘘と知恵を言い換えるところに何かすっきりしないものを感じますが、実際に知恵が必要なのです。
嘘でアキシの心をつかんだ
特にサムエル記27章ではそのことがよくわかります。当時ダビデはサウルに命狙われる身でペリシテ人の地に寄留していました。もちろん、ペリシテ人とユダヤ人は敵対関係にあります。そこでダビデはこんな秘策で王であるアキシの心をつかんだのです。
ダビデは周辺のゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人に攻撃を仕掛けました。しかし、アキシにはユダの地やペリシテ人と敵対している人地を攻撃してあたかも自分はイスラエルを裏切ったと思わせていたのです。
聖書にはこのように書かれています。
アキシが「あなたはきょうどこを襲いましたか」と尋ねると、ダビデは、その時々、「ユダのネゲブです」、「エラメルびとのネゲブです」「ケニびとのネゲブです」と言った。
ダビデは男も女も生かしおかず、ひとりをもガテに引いて行かなかった。それはダビデが、「恐らくは、彼らが、『ダビデはこうした』と言って、われわれのことを告げるであろう」と思ったからである。ダビデはペリシテびとのいなかに住んでいる間はこうするのが常であった。
サムエル記上27:10-11
知恵によって乗り越えた
ダビデはペリシテ人の地で生き延びるために、いわば嘘をついてアキシを欺いたのです。これは嘘も方便でしょう。また言い換えれば、知恵によって乗り越えたとも言えます。
僕はここでじゃあ「クリスチャンはうそをついてもいいのか?」というような議論をしたいわけではありません。この地上で生きるには確かに「蛇のようにさとく、鳩のようになおく」あり、知恵が必要だと思います。