0438_おっさんの薄い人生③(27歳〜36歳)

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中国の家の教会

2012年〜2015年まで中国で滞在した3年間は神様の一方的な憐れみの宝物のような期間でした。18歳のときに与えられたビジョンのとおりに道が開かれたからです。さらに、書籍や宣教師の説教を通してではなく、人生で初めてリバイバルが起こっている教会を目の当たりにし多くの経験をさせていただきました。

リバイバルが起こっている教会は勢いがあり、力があります。そして、礼拝に参加する者を、信者・未信者関係なく飲み込むが如くに恵みと喜びで満たすのです。その聖霊の喜びは、夜22時まで礼拝していても、礼拝を終わらせたくないと思わせるものなのです。牧師先生が講壇から「帰りたくない」と言っていたのが非常に印象的でした。それは聴衆一同も同じように感じていたのです。

礼拝が終わった頃にはバスはすでにないので、家まで5Kmほどの道を歩いて帰ります。しかし、全く疲れを感じませんでした。ただただ、心に喜びがあって嬉しくて、すがすがしくて、星空も見えない空気も汚い中国の街であっても、目に見えるものがすべて輝いて見えるのでした。

日本で再就職

夢のような3年間もあっという間に終わり、当初から決めていたとおり2015年に帰国しました。これまで通常のレールにあるキャリアというキャリアを築いていなかったので、日本での再就職にあたっては、社会が必要とする強みに著しく欠けていると痛感させられました。中国語は話せても29歳では「中国語×何か」が要求される年齢になります。例えば、「中国語×貿易」、「中国語×IT」、「中国語×観光」などなど。

再就職活動の長期化が予想されたので、ITの会社で中国語の業務のアルバイトに応募すると、「君の人生むっちゃおもろいやん」と気に入ってくれて、すぐにアルバイトをすることになりました。その後、ずっとお世話になっている上司が正社員にしてくださって今に至ります。

気持ちの大きな変化

29歳まで僕にとって日本はずっと息苦しく、生きづらいところでした。常に「なぜ僕だけこうなんだろう」、「なぜみんなはそうするんだろう」と思っていました。みんなと一緒にはいるけれど、心の中ではずっと集団から離れたように生きていました。特に帰国してからの2年間は中国に帰りたい願望が激しかったのです。

ただ、主が一方的な憐れみによって、少しずつ気持ちを整理させてくださいました。手取り足取り、一歩一歩、日本で生活するために人や環境を整えてくださったように思います。その与えられた環境こそがこれからの10年に必要な環境であったと今は確信がもてます。

次の10年(37歳〜46歳)はもっと考えられないくらいおっさんになっていると思いますが、10年後にまたこの続きを書きたいと思います。

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