体調不良
今年のはじめは体調不良から始まりました。それから2か月後早くもまた体調が悪くなってしまいました。体調不良には様々な原因があると思います。体調管理や長年の食生活からくるもの、加齢、遺伝的なもの、あるいは主がそれをゆるされて体調不良になる場合です。
今回の体調不良の期間を通して、これは主が与えてくださったものと感じました。
本人は自覚していない
毎回思うのですが、「一見普通に信仰生活を送れているようにみえても、実は主から心が離れていってしまう。そして悪いことにそれを本人は自覚しない。」という事象はクリスチャンにとってとっても厄介だと思います。今回もこの事象でした。そしてそのことに気づかせてくださるために体調不良を与えてくださったのだと思いました。
心が離れた理由の一つは資格勉強です。模擬試験をする中で、なかなか合格水準に達しない焦りから心が勉強一択になってしまっていました。疲労していて頭も動かないのに夜遅くまで勉強して、次の日に疲労を残したりする日が続いてしまっていました。なによりも心に平安がなくストレスが溜まっていきました。
心は確かに主から離れていた
もう一つは、仕事、教会のこと、また個人的なことでやることが多く心に余裕を失っていたことでした。とりあえず、物事を前進させるには時間を投入するしかなく、夜遅くまで対応するしかありませんでした。そのような状況から次第に生活のリズムが乱れてしまい、心も主から離れてしまったのだと思います。
この間も僕は毎日かかさずに聖書を読んでいました。しかし、心は確かに主から離れていたのです。これは意外なことに思えるかもしれませんが、主への心をもつことなしに聖書を読むことができてしまうということです。
はじめて自分の心が主から離れていたことに気づく
最終的に体に不調が出たので、勉強の時間も捨てて時間を天引きして休息することを優先しました。何よりも一人で主の前に時間を作りました。その日も本来予定が入っていたのですが、たまたまキャンセルになりました。また家族にも相談して時間を与えてもらうことにしました。主が備えてくださったのだと思います。
そして、一人で主に向き合う時間を取る中で、はじめて自分の心が主から離れていたことに気づいたのです。主に静かに心を向ける時、また御言を読む中で主が語り掛けてくださるのがわかりました。今回の件でも僕は本当にどうしようもないクリスチャンだと思いました。ただ今信仰生活を遅れているのは自分の頑張りや努力などではなく、主の憐れみによるということを改めて自覚しました。