0437_おっさんの薄い人生②(17歳〜26歳)

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主に出会って変わったこと

主と出会ってから、人生が180度変わりました。それまでは、自尊心皆無、厭世的、無頼的、悲観的、刹那的、反骨、不平不満、愚痴、批判、うらみ、ねたみ、そねみに満ちた人生を送っていました。汚い器には汚い物を、汚物には汚物をというような価値観だったのが、全く逆に変わってしまったのです。

それは、自分が完全に聖くなったからというのではなく、聖なるお方に触れたからです。そして、聖いお方が僕の汚物を全部引き取って十字架にかかってくださった事実がある以上、この方と歩み続けるならば、僕自身も聖く生きることができるという「望み」を得たからです。

救いがもたらしたもの

その望みは多くのものを包括していました。永遠の命の望み、永遠のふるさとの望みだけでなく、この地上での自分の使命を果たす望み、ビジョンに生きる望み、そして、イエス・キリストの似姿に栄光から栄光へと造り変えられる望みもあります。

主にお出会いしてから、まず明確なビジョンが与えられました。それは、中国というキーワードが与えられ、中国に対する強烈で異常な関心が沸き起こったのです。これまでの勉強嫌いが1年間浪人生活をして、外国語学部中国語学科で中国語を学ぶ機会を与えていただきました。

中国へ留学

特に2007年に中国北京に留学した1年は自分にとって一番過酷な1年でもありました。母教会から初めて長期間離れる異国での生活、さらに内面を主に取り扱われること、すべてが過酷でした。

当時は、救われて以来、主に用いられることを体験していたので、天狗になっていたのだと思います。主は自分を愛してくださっている。主は自分の教会を愛してくださっている。なんでも自分自分で、自分が大切、そして、教会内で人から評価されることが大切であるとさえ思い込んでいたのです。

当時学んだことは、ただただへりくだることです。あとは、誤解を恐れずにいうなら、祈る「だけ」では現状は変わらないということです。祈って、信じて、僕側から一歩踏み出すことで主が働かれるということを知りました。

サラリーマン経験

中国から帰ってきたあとは、ヨーイドンで人並みに就職活動をして、中国語・地元・土日休みという3つのキーワードだけで就活をして企業に入社しました。そこでの3年間もかなり過酷でした。リーマンショック後の研修という名1年以上の工場勤務は現代版蟹工船そのものでした。

その次は営業部門に配属され、全く仕事ができずに人事評価でオールEみたいな状態でした。上司が怖くて、いつもおどおど、びくびくして、萎縮したサラリーマン生活でした。大声で怒鳴られるのは日常茶飯事で、「お前頭どっかおかしいからMRI取りに行け」とか「俺の小学生の息子以下やん」とかパワハラを受けていました。

岐路に立つ

このまま歯を食いしばって適性のない営業マンとして主により頼んで励ましと力を頂いて、生きていくべきか?しかし、心の隅にはずっと18歳のときに与えられたビジョンである「中国」というキーワードが頭から離れませんでした。礼拝後、個人的に、各種聖会で主に叫ぶような祈りを続けた結果、退職して中国に行くことに決まりました。

母教会には中国にブランチ教会もないので、中国のどこに行くかあてもありませんでした。とりあえず、日本語教師の資格を取って翌年の2012年(26歳)に単身で中国に行く準備だけをはじめました。

次回に続く

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