0436_おっさんの薄い人生①(6歳〜16歳)

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おっさんの薄い人生

おっさんはもう36歳になりました。若い頃は「30歳以上の大人なんか信じるな!」というようなパンクロックを聴きながら生きていたので、自分が30歳を超えてしまった時は、その先の人生プランを一切考えていなかったので、大変悩みました。30歳を超えた自分を「おっさん」と呼ぶ理由はここにあります。約半年ほど悩み、最後は「主が生かしてくださっているのだから、おっさんになっても感謝して生きていこう」と決めて今に至ります。

これまでの短い薄い人生を振り返ると無理やり10年くらいごとに区切りをつけることができたので、おっさんの薄い人生を簡単にここに書きたいと思います。

幼い頃の教会生活

幼い頃から両親に連れられて教会に行っていました。教会は楽しいところでもあり、つまらないところでもありました。教会には多くのお兄さん、お姉さん、同世代の友人がいたので、たくさん遊ぶことができました。みんな優しくて居心地のいいところだったと思います。一方で、本質である信仰というところに関しては理解も経験も浅く、本当の意味で信仰は持っていなかったと思います。

ただ、明確に言えることは、教会学校での学びが今にも生かされているということです。毎週実施される暗唱聖句で若い頃に仕込まれた御言は今でもいつでも暗唱することができるのです。人生のここぞというときに、祈っているときに、その御言によって励まされたりすることは少なくなかったです。

教会のキャンプ

集団行動が苦手なので、毎年開催される教会の小学生キャンプなどは母に説得されていやいやながら行っていました。ただ、母いわく、行きはいやいやだけど、帰ってくると満面の笑みだったそうです。それが毎年続いていました。

中学生にもなると部活で朝の礼拝にはいけないことも増えました。高校生になると、教会には行っているけれど、できるだけ誰とも話さずさっさと帰るという感じでした。

高校生の時、しばらく行っていなかった教会のキャンプに行くように母に説得されました。僕はもう高校生だったので、友達との時間のほうが何百倍も楽しかったので、「教会おもんないもん、行かないよ」というようなことを言うと、「来年は行きなさい」と言われ、一時しのぎで、母が用意した誓約書?にサインをしてしまいました。

主との出会い

かくして、翌年の忘れた頃に母が誓約書を引っ張り出してきて、「今年はキャンプ行くよね」と言ってきました。母の策略に驚嘆した一方で、これは仕方がないと腹をくくってキャンプにくことにしました。

意外なことに、キャンプでは僕の心の琴線に触れるような御言が多く語られました。祈りの中で、誰にも言えない心の悩みの深いところを探られ、えぐり出され、それを全面に出されて、「さぁこれを私に明け渡しなさい」と主がおっしゃるのがわかりました。なぜ主は、汚物の塊のような僕の心を明け渡してほしいのか疑問に思いました。

しかし、それを明け渡した時、その汚物の塊をまるまる背負って十字架で死んでくださった情景が浮かびました。はじめて、十字架の意味が魂の深いところでわかったのです。涙がポロポロと流れ始めました。その時からイエス様との個人的な関係が始まりました。

次回に続く

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