0071_日常の炭鉱のカナリヤに目をとめる

外側に現れるものは、決して偽りがありません。部屋が散らかり始めたり、洗濯物や洗い物が溜まり始めると、内側が散らかり始めたサインととらえるようにしています。こういったサインは、僕の日常生活における「炭鉱のカナリヤ」の役割を果たしています。

「炭鉱のカナリア」とは何らかの危険が迫っていることを知らせる前兆を指す慣用句の1つで、炭鉱等で有毒ガスが発生した際に、人間よりも先にカナリアが察知して鳴き声が止むことに由来します。 その昔、炭鉱労働者がカナリアを籠にいれて坑道に入ったそうです。

引用元:money-bu-jpx.com

例えば、部屋が散らかってきたとか、些細なことでイライラするようになったとか、夜ふかしするようになったりだとか、生活習慣の乱れは内面に起因しています。内側の乱れは必ず外側に現れます。身と心と魂の健康を維持するために、外側に現れた変化(炭鉱のカナリヤ)を見逃さずにチューニングしてやる必要があります。

先日、部屋が散らかっても気にならない日が数日続いていたので、これはよくないと思い、半日かけて部屋の掃除と整頓、配置の変更等を行いました。そして、長風呂に入ってリラックスしたり、聖書を読んで、お祈りしたりすることで、日常の引力に負けない力を再び得て、適度な緊張感のもとで日々歩めるようにします。

内なる世界の質は、最終的には外の世界の質に反映される以上、内側のことに注力する必要があります。

油断することなく、あなたの心を守れ、
命の泉は、これから流れ出るからである。
箴言4:23(口語訳)

聖書の神は聖なる神。イエス・キリストは罪を犯すことのなかったお方。彼に似る者を本気で目指すなら、汚い自分を認めて、日々、日常の引力に負けないように少しのズレを察知して、微調整、方向転換し続けて、キリストに照準を合わせ続ける。そして、彼を仰ぎのぞみつつ、内側に住んで頂けるように祈ります。