1202_最大の過ちは自身の資質や能力の問題と罪の問題をごっちゃにしてしまったこと

この世界で生きていくためには知識も必要

僕は無知であった時に救われました。救われたのち信仰だけではだめなことに気づきました。当然のごとく、この世界で生きていくためには知識も必要だったのです。それから、手当たり次第なんでも本を読むようになりました。確かに本は面白くて大くの学びを得ることができます。そして、本によって、厳密にいえば言語によって人はある程度まで変わることができることも実感しました。

具体的に言えば、ある分野における専門書を何十冊も読めば仕事がかなり楽になるということを体験したのです。知識があれば人生はより楽になると疑わなかったのです。それはある一面においては真実だと思います。

自己啓発本にのめりこんでしまった

しかし僕はそこから人が書いたものに頼る生き方をしてしまいます。ようは自己啓発本にのめりこんでしまったのです。自己啓発本自体は悪いものではありません。悪いのは神様に頼らずに人の知識に頼った僕だったのです。

自己啓発本に関して言えば、確かに役に立ったものも多くあります。僕の最大の過ちは自身の資質や能力的な問題と罪の問題をごっちゃにしてしまったことでした。つまり、罪の問題を神様にもっていくことをせずに、自身の努力で解決しようとしていたのです。

十字架の罪のゆるしの力がなかった

もちろん、その間も僕は毎日聖書を読んでおり、教会で礼拝もしています。確かに魂が恵まれるという体験もしています。しかし、そこには僕の神様に対する全幅の信頼や十字架の罪のゆるしの力がなかったのです。

ある時は禁欲的に生きようとしました。朝4時に起きたり、食事制限をしたりしようとしました。ランニングをしたり筋トレをして肉体から自分を自制することを試みました。それらは最初はよかったのですが、しばらくすると、これらは自分の欲、特に罪の問題を解決するには十分でないことに気づきました。

罪の問題を解決できるのはイエス・キリストだけ

罪の問題を解決できるのはイエス・キリストだけです。そして、その十字架は本当に現代を生きる僕たちの罪の問題を完全に断ち切ることができるものです。そして確かにキリストにあって罪に打ち勝つことができるようになのです。これは自己啓発でも妄信でも思い込みでも迷信でもなんでもありません。ただ僕の心の中で起きた出来事なのです。それ以来、僕は救われた当時、つまりはじめの愛に帰りつつあることを知りました。

昨日は本の断捨離を敢行しましたが、これから、もっと僕の中にある、僕の人生にある余計なものを削ぎ落していよいよ神様に近づいていきたいと思っています。

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