1203_生活が聖別されることによって霊的な曇りがなくなっていく

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最近変わったこと

イエス様の十字架の力で最近変わったことを書こうと思います。まずは仕事一つひとつ着手する前に祈るようになったことです。僕はクリエイティブな仕事を任せられることがありますが、そういった仕事が決して得意なわけではありません。その理由としては、クリエイティブな仕事は時間をかければかけるほどいいものが出来上がってくるものではなくてアイデア次第ですべて決まるからです。

何か他のクリエイティブなものを参考にしようとしても、それを一旦自分の中で咀嚼してアウトプットしなければなりません。特に最近はA4裏表で合計10つのデザインを作成しないといけなかったので、本当にできるのか不安でしかありませんでした。

仕事に着手する前に祈る

しかし、仕事に着手する前に祈ることができます。

「僕にはクリエイティブなものを作るアイデアがありません。どうかあなたが助けてください。」

僕は一時期こういった祈りは利己的だと思っていたことがありました。しかし、実際は何事に対しても主を頼っていいのだと思うようになりました。そして主は確かに助けてくださり、その仕事中に神様が共にいてくださるということを教えてくださいました。

「言わない」という決断をすることができる

二つ目は「自分が言おうと思ったことを一旦自分の中で留めて言わない判断ができるようになったこと」です。これは、これまで自分でも意識していてもなかなか実践するのが難しかったです。自分が言いたいこと、話したいこと、思っていることを話たいという願望があったのです。

しかし、これをいうことによって、周りはどのような印象を受けるのだろうか?これをいうことは果たして建設的なのだろうか?と直感的に瞬時に判断して「言わない」という決断をすることができるようになりました。これはこれまでの自分では決してできないことでした。確実に主が助けてくださっていると思っています。

霊的な曇りがなくなれば

おそらくこれらの秘訣はイエス様に対する純真な思いと純潔がキーワードになっていると思います。なぜなら、イエス様の聖さにあずかればあずかるほど、より霊的側面が研ぎ澄まされていって、「何が正しいか?」がわかるようになってくるからです。

僕の霊的な目は救われた時に確かに開かれましたが、今も依然として曇っています。だからこそ御霊の実を結ぶことができていないのです。しかし、生活が聖別されることによって霊的な曇りがなくなれば、瞬時に主の御心がわかる生き方ができるのだと思っています。

あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
ローマ12:2

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