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主の祈り
先日は教会で2回目のCSの説教でったので、今回も1週間前から祈りつつ準備を始めました。今回の聖書箇所はマタイによる福音書6章9節~13節です。ここはイエス様が弟子たちに祈りのお手本を示された「主の祈り」という非常に有名な箇所です。
僕の教会では2週間に1回礼拝の中で「主の祈り」を告白することがプログラムに組み込まれていますが、僕は口語訳では暗唱していなかったので、まずは自分自身が暗唱して1週間毎日「主の祈り」を実践するところから準備を始めました。
主の祈りを日々の生活でする中で①
1週間、寝る前や通勤途中やこどもを保育園に連れていく中でこの祈りを告白しました。いつも当たり前のように教会で告白している御言が日常に成就する感覚を覚えました。そして、何よりもこの御言が網羅的であり、クリスチャンには欠かせない祈りだということもまず僕が教えてもらいました。
天にいますわれらの父よ、
御名があがめられますように。
まずは自分自身が主を賛美します。そして、この世界において、神様だけが賛美されるように祈ります。この時に、自分の心が神様のほうに向きます。「オレガオレガ」じゃなくて、自分を塵として、ただ神様だけが崇められることを望むのです。
御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、
地にも行われますように。
次に、神様の美しい御心が地上にも行われるように祈ります。ここでも「オレの考えややり方」じゃなくて、ただ神様の思い、考え、方法だけがこの地上に、また自分自身になるように祈ります。
主の祈りを日々の生活でする中で②
わたしたちの日ごとの食物を、
きょうもお与えください。
また、今当たり前のように食べている食べ物はもともとは神様が人類に与えてくださった豊かな食材であることを思います。そして、それが与えられていることに感謝します。さらに、身体を養う食べ物だけなかくて、魂の食物、御言も必要です。それが毎日与えられるように祈ります。
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
僕には人を赦すような素晴らしい品性をもっていません。だからこそ、神様によって人を赦せるように祈る必要があります。また、僕自身は神様にyるされているにもかかわらず、高慢で悔い改めたくない自我が存在しているので、それを悔い改めます。
わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。
最後は、守られるように祈ります。家族、教会の先生、兄弟姉妹、同僚、上司、取引先の方、友人、知人のために祈ります。
説教する前に自分が教えられる
結局、1週間暗唱して学んだことは、どれも僕にとって難しいことだから、神様に「主の祈り」をする必要があるということでした。CSで語る以前に、自分自身にとって毎日この祈りが必要だとわかったことが僕にとって大きな恵みでした。