能動の信仰と受身の信仰 | 耳からイヤホンを外して気づいたこと
退勤後 これまで僕は退勤後に駅まで歩きながら祈ることを習慣にしていました。「今日もあなたが共にいてくださったことに感謝します。」というように心を込めて主に思いをはせます。しかし、ここ一か月ほどAir Podsのパチモンを…
日々の信仰生活、従順、聖化、努力、霊的成長を実践するための記事をまとめています。
キリスト教信仰
退勤後 これまで僕は退勤後に駅まで歩きながら祈ることを習慣にしていました。「今日もあなたが共にいてくださったことに感謝します。」というように心を込めて主に思いをはせます。しかし、ここ一か月ほどAir Podsのパチモンを…
キリスト教信仰
自分が怠惰 ここ数日、僕はずっと「努力」について書いてきています。なぜ僕はこんなにも努力を強調するのでしょうか。それは決して啓蒙したくて誰かに対して書いているのではありません。もちろん自分の蟻ほどの努力を誰かに誇りたくて…
キリスト教信仰
一方的な憐れみによって造り変えてくださる 昨日は信仰生活を送っていると山あり谷ありと書きました。しかし、「へりくだり」と「悔い改め」の関所を経て、主のもとに行くならば必ず赦され、回復し、力を得て、再び歩みだすことができる…
キリスト教信仰
説教ができない 先日SCの説教で頭が真っ白になる出来事がありました。それは自分のパソコンのパスワードがわからなくなってしまい、説教用に用意したPPTのファイルを開けることができなくなったのです。 このパソコンはほとんど毎…
キリスト教信仰
おし流されてしまう 僕が信仰生活を送る中で心に留めている大切な御言があります。それはこれです。 ヘブル人への手紙 2:1 こういうわけだから、わたしたちは聞かされていることを、いっそう強く心に留めねばならない。そうでない…
キリスト教信仰
圧倒的な差 誰でもわかっていることですが、難しいことがあります。それは「知っていることとやっていること」の間にある圧倒的な差です。誰でも運動はしたほうがいいとわかっています。しかし、それを実行に移す人はごくわずかです。 …
キリスト教信仰
この物価高の時代に10%も? なぜ、僕は毎週日曜日に礼拝に行くのでしょうか?またなぜ時間をかけて教会の奉仕をするのでしょうか?なぜ収入の10分の1を神さまに捧げるのでしょうか?さらには、なぜ僕は一見、自分がやりたいと思っ…
キリスト教信仰
ママ友3家族と出かけるイベント 先日、嫁さんの幼稚園のママ友3家族と出かけるイベントがありました。僕を含める各家族の旦那はそれぞれ初対面です。僕はこのイベントを聞いた時、身構えてしまいました。なぜなら、僕はコミュニケーシ…
キリスト教信仰
フォーナイン 僕はある一面においては、いつでも救われた17歳の当時に戻りたいと思っています。なぜなら、当時の自分のイエス様に対する愛は純粋だったからです。おそらく、純金基準である99.99%のフォーナインレベルで純度が高…
キリスト教信仰
エノクは神とともに歩み 僕が時々思い出す御言があります。それはこれです。 創世記 5:24 エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。 確か沢村五郎先生の「聖書人物伝」にこのような解説があったと記憶して…
キリスト教信仰
人生をスローダウン ある牧師先生がこのようなことを言っていました。 「以前は時速140kmで生きていました。本当に忙しく、いつも『忙しい』と言うのが口癖だったのです。しかし、今は人生をスローダウンしました。今は時速40㎞…
キリスト教信仰
内なる人は日ごとに新しく 主にあって変えられたいという願いをもってこのブログを続けてきました。その変化は遅々としており、ほとんど変わっていないように見えるかもしれません。しかし、確実に主にあって変わっている確信はあります…
キリスト教信仰
必死で聖書を読む 僕は若かりし頃、このような信仰態度で奉仕をしていました。それは、聖書の話や賛美の奉仕がある前日や少し前から主の前に出て主からの語りかけを待つとうスタイルです。普段ほとんど聖書を読めていないので、必死で聖…
キリスト教信仰
幼子らしいことを捨てること 昨日に続き「幼子らしいことを捨てること」について書きます。僕は自分の祈りの部屋に下記御言を書いて壁に掲げています。 コリント人への第一の手紙 13:11 わたしたちが幼な子であった時には、幼な…
キリスト教信仰
部屋に掲げた御言 最近、自分の祈りの部屋に掲げた御言があります。それはこの御言です。 コリント人への第一の手紙 13:11 わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えてい…
キリスト教信仰
ワーシップムーブメント 2000年に入ってからのペンテコステ派のワーシップムーブメントには目を見張る勢いがありました。世俗化が叫ばれる中、若者を中心にリバイバルが起こり教会に若者が集うようになったのです。まさに霊的覚醒、…
キリスト教信仰
強く押し迫ってくる感覚 昨日は自身の信仰が成長しているかをどのようにして知ることができるのか?と言うことについて書きました。今日は僕の信仰観の変化について書こうと思います。まず、僕が救われた当時は聖霊の満たしや聖霊の導き…
キリスト教信仰
御霊で始めたのに クリスチャン信仰は主に導かれる以外に進むすべがありません。自分であれこれ考えて自分の力でやろうとしても失敗するだけです。それは聖書にあるように霊ではじめたのに肉で仕上げようとしていることです。 ガラテヤ…
キリスト教信仰
霊的実践 昨日は僕がずっとカトリックに対して抱いていた偏見を悔い改めたということを書きました。昨日も書きましたが、カトリックほど祈りや霊的実践に対して具体的で実用的な方法を提示してる宗派はないのではないかと思わされていま…
キリスト教信仰
この世への執着と真逆 昨日、僕は霊的な良いものを子どもに与え続け、かつ霊的な財産を残したいがゆえに長生きしたいと思うようになったと書きました。僕はこれまで長寿を望むのは肉的だと思っていました。なぜなら、それはこの世界への…