聖化に必要なこと | 主が「そうしてあげよう、きよくなれ」とおっしゃるだけでいい

一方的な憐れみによって造り変えてくださる

昨日は信仰生活を送っていると山あり谷ありと書きました。しかし、「へりくだり」と「悔い改め」の関所を経て、主のもとに行くならば必ず赦され、回復し、力を得て、再び歩みだすことができると書きました。そして、それは絶望的なほどに真実なお方の愛を前提としています。僕はいつもその主の途方もないほどの愛に圧倒されます。

そして、もう一つ僕にとって不思議なことがあります。それは主が僕を変えて下さる時にただ一方的な憐れみによって造り変えてくださるという事実です。

聖霊の働き

僕は自分が変わりたいと強く願い、霊的な修行や節制を習慣的にしています。しかし、それらは自分が変わるためには何の役にも経っていないことを僕は認めます。自分で言うのもなんですが、僕は自分で確かに努力していますが、それによって自分が変わっているわけではないのです。

ただ一つのことがあります。それは主が「造り変えてあげよう。」と一言おっしゃるだけでいいのです。それ以外に僕がすることはすべて無駄ではありませんが、本質じゃありません。なぜなら、主と同じ姿に変えられるのは聖霊の働きだからです。

コリント人への第二の手紙 3:18
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。

三つの大切なこと

もしクリスチャンが自身の霊的修行や訓練や節制による行いによって変わるのであればそれは霊なる主の働きが不要になります。主がそれらを捉えて造り変えてくださるのです。このあたりは律法主義とのそしりを受ける可能性があるので少し丁寧に書きます。

第一に大切なのは心です。主への愛です。それこそが動機です。第二に大切なことは聖書の言です。聖書の言葉を自分の血肉になるまで自分の心に刻みこむことです。信仰を使って宣言することです。第三に大切なのは努力です。僕はこれを律法主義だとは思いません。他の言葉で書けば、献身、捧げること、犠牲、霊的修行、訓練、節制などが含まれます。

聖化やきよめ

しかし、僕は冒頭でも書いたように努力を強調したくありません。なぜなら、聖霊の働きがなければこれら努力はすべて虚しいからです。すべて無駄だからです。霊的な領域において、人が変えられるのは努力では無理です。

主は心をご覧になられます。主が心を見てくださり、「造り変えてあげよう。」と一言おっしゃればそれで人は変わるのです。僕は聖化やきよめはそれほどシンプルだと思っています。

サムエル記上 16:7
しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。

マタイによる福音書 8:3
イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、らい病は直ちにきよめられた。

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