0982_人や教会を裁いた時点でクリスチャンとして大失格

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他の教会を知るということ

僕の経験上から言うと、無理をせずに事情が許すのであれば母教会以外の教会を知ることは事情に重要だと思います。特にクリスチャンホームの人にとってはなお重要だと思います。なぜなら、クリスチャンホームの子は小さいころからその教会しか知らずに育ってきたからです。

もちろん、教会でも超教派的な活動に力を入れたり、他の教会との交流を重要している教会もあります。そういった教会だったら別に他の教会に行く必要はないかもしれません。

自分の母教会

しかし、僕の場合はほとんど超教派の活動もなく他の教団の教会とも交流がない教会で育ったので、自分の教会こそ一番素晴らしい教会なのだと思ってきました。自分の教会を愛する気持ちは信仰生活にすごく大切ですが、一歩間違えると、何も知らずに教会に対して批判的になってしまったりするものです。少なくとも、僕はそのようになってしまっていました。

確かに礼拝にはすごい神様の臨在がありました。僕が神様から離れていた時でさえも礼拝堂に入るだけで神様を感じる、そのような教会でした。出席者数200名近くの教会だったので、活気もあり、音楽の奉仕にも恵まれていて、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長していました。

どれだけ深遠な真理を知っていたとしても

しかしながら、このブログ(福音派とペンテコステ派について)でも書いたように、自分の教会を外から客観的に見ると、母教会のいいところもよく見えましたが、よくないところろも見えるようになりました。

それは自分から切り離して母教会という存在が悪いというのではなくて、そこに所属する自分がよくなかったということを知りました。結局はどんな深遠な真理を知っていても、どれほど深い神様の臨在の中にいたとしても、人や教会を裁いた時点でクリスチャンとして大失格になるということです。なぜなら、神は愛だからです。

教会は多様性に満ちている

プロテスタントの教会というと、ざっくり福音派とペンテコステ派に分類されるのですが、同じ福音派でも教会によってはだいぶ雰囲気が違ったりします。それはペンテコステ派も同じです。本当に教会はそれぞれに特色があり、多様性であふれています。何も知らずにネットだけの情報であーだこーだいうのは全く持って的外れだと思います。

先日もこんなクリスチャンになりたいなと思うような方が現れました。これからも、いろんなクリスチャンの方のいいところを学んでいきたいと思いました。

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