0117_アプリの罵詈雑言レビューを見て思ったこと

たまに、アプリなどの評価レビューなどを見ていると、酷評を超えてただ怒りをぶちまけたいだけのようなコメントを見ることがあります。例えば、罵詈雑言とともに、「〜、さもないと、アプリをアンインストールするぞ!」とか脅迫するものや、「〜、ただの金儲けの課金アプリ!」とか書かれています。

そもそも、課金するか否かはお客様に委ねられてるので、したくなかったら、無料の範囲で遊べばいいと思いますし、そんなに嫌だったらアンインストールすればいいと思ってしまいます。

どこが悪いのか、どこを改善すればいいのか、どこが使いにくいのか、という建設的なレビュー意外、こういった罵詈雑言は全く意味がありません。アンインストールすれば、その数でその気持は運営側には伝わると思います。

ただし、課金勢と無料勢では、もちろんアプリに対する気持ちの入り方が変わってきます。課金した金額はサンク・コストとなり、引けに引けなくなってしまいます。例えば、2万円課金しても、ほしいキャラが手にはいらなかったり、思うようなポジションを確保できなくなったりすると辞め時がわからなくなり、さらに課金して沼にハマってしまうことがあります。

一度沼にはまると、お金は溶けるは、メンタルもやられるはで、冒頭のような罵詈雑言を吐きたくなってしまうこともあるのだと思います。

同じように組織においても、罵詈雑言を吐くことはないと思いますが、自分が時間を投入した思い入れのある事業に関しては、たとえ、売上が高くなくても、それ以外の人よりも熱量が高くなる傾向があります。

一歩間違えば、客観的に見れなくなってしまって、KY的発言が出てしまい、第三者がアプリの酷評レビューを見ているように周りに「は!こいつ何いっての?」と思われる可能性もあります。

そのため、どんな場面であっても、熱量における中庸を重視して、バランス感覚を大切にしたいと思いますが、イエス・キリストの対する愛だけは熱くもなく冷たくもない、ぬるい温度にはならないように心がけたいです。

わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
ヨハネ黙示録3:15(口語訳)