お前はどうなんだ?
僕は育児をする中で時々、心にある声が聞こえてきます。それは「お前はどうなんだ?」という声です。その声を聞く度に、僕に果たして躾ける資格があるのだろうか?と思わされます。僕は39歳、こどもは2歳、それぞれの年齢で求められるものは異なります。果たして僕は39歳で求められていることができているのか?と思わされるのです。
大人はもれなく2歳に求められることはできるでしょう。しかし、それは当然です。じゃあ、今あなたは年齢相応に求められることができるでしょうか?
強制執行
先日はこのようなできごとがありました。夜、こどもがいつまでもふざけていて寝室に行こうとしません。寝る前にはお茶を飲むように勧めますが、ふざけて飲むふりだけをして飲みません。いつもこの状態で寝室に行くと必ずあとから「お茶を飲みたい!」というのです。だから先に飲ませたいのですが、今は飲みたくないようなのです。
昨日は最終的にコップに入ったお茶を全部床にこぼしました。笑いながらやったのでわざとです。その時、僕はこどもの手をペシっと叩きました。そして「もうお茶も飲まなくていい!」と言って、こどもを抱きかかえてそのまま強制的に寝室に連れて行って寝ころばせました。それから、30分は泣き続けましたが、ついには泣き疲れて寝てしまいました。
親の役割を果たす義務はある
その泣き声を寝室で聞きながら冒頭の心の声が聞こえてきたのです。
「お前はどうなんだ?」
この問いに対して前提があります。それは僕はこどもの保護者であり親でもあるので、親の役割を果たす義務があるということです。だから、たとえ僕が39歳に求められているができていなかったとしても、子どもに対しては義務を果たさないといけないのです。
しかし、それは義務があるというだけで、正しいあり方ではないと思ったのです。たとえば、僕はこどもより体が大きいので力の差は歴然です。だから抱きかかえて寝室に連れていくという強制執行ができます。しかし、それはフェアではないと思ったのです。
年齢がいくつになっても
以上の理由により、僕は主にもっと取り扱って頂く必要があります。そして、厳しくも造り変えて頂く必要があります。言い換えれば主に躾けてもらうということです。そうでないと、こどもの側から見た時にフェアじゃないと思ったのです。
こう考えるとクリスチャンの人生はやはり幸いです。年齢がいくつになっても教え、戒め、正しくし、義に導いて下さるお方がいるからです。