この世への執着と真逆
昨日、僕は霊的な良いものを子どもに与え続け、かつ霊的な財産を残したいがゆえに長生きしたいと思うようになったと書きました。僕はこれまで長寿を望むのは肉的だと思っていました。なぜなら、それはこの世界への執着を意味すると思っていたからです。
しかし、霊的なものを残したい、福音を伝えたい、この地上において主の働きを全うしたいという動機は必ずしもこの世的でないということを知りました。なぜなら、逆説的になりますが、このような願望はこの世への執着と真逆のことだからです。霊的なものと肉的なものは必ず相反します。
これはあなたの母です
そしてそのようなことを願った時にイエス様の気持ちに思いを馳せました。それは、まずイエス様は人としては未亡人になったマリアの面倒を見たかっただろうということです。その心が締め付けられるほどの思いは十字架上で現れました。
ヨハネによる福音書 19:26-27
イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母にいわれた、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。
それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」。そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった。
歴史によると、父ヨセフは早世したと言われています。だからイエス様はきっとお母さんっ子だったんじゃないかとも思われます。イエスさまもお母さんが大好きで十字架の上で子供に先立たれるお母さんの心配をし続けていました。
あなたがたの益になるのだ
次は弟子に対してです。弟子に対しては振れ切っているように思います。
ヨハネによる福音書 16:7
しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。
マタイによる福音書 28:20
あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。
もちろん、イエス様には愛する弟子たちと一緒にいたいという人としての思いも強くあったかもしれません。しかし、彼らに対しては聖霊である助け主が下り、世の終わりまで共にいることを約束しました。
母マリアとの別れの痛みを負ったしても
ここまで読んでもしかしたら、「イエス様の気持ちとお前の気持ちと混同するな!」と思う方もいらっしゃるかもしれません。僕は混同したいわけではなく、母マリアとの別れの痛みを負ったしても、僕の救いのために命を捨ててくださったことに涙が溢れるからです。













