1875_刺激と反応の間にAGERE CONTRA(アジェイラ コントラ)を置く | イエズス会の教え

AGERE CONTRA(アジェイラ コントラ)

昨日はイエズス会で実践されていたAGERE CONTRA(アジェイラ コントラ)という考え方について書きました。僕はこの考え方に大変感銘を受けました。それは実際的で実践的な考えだったからです。今日から実行もすることができます。静かな祈りとなると場所と時間が必要になりますが、AGERE CONTRAは今すぐ実行できるのです。

聖書にははっきりとこのように書かれています。

ローマ人への手紙 8:5
なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。

AGERE CONTRAはこの御言を実践するには最適のトリガーになると思ったのです。刺激と反応の間には空間があると言われています。僕はこの刺激と反応の間にAGERE CONTRAを入れたいと思ったのです。

仕事や家庭での実務でも生かせる

昨日は食事に関する実践について書きました。すぐに実践できる方法としてはたとえば、たとえば可処分時間に「スマホを触りたくなったら触らないで家族の話を聞く」と言う選択ができるかもしれません。要点は肉のことを思った瞬間に霊のほうへ方向転換することだと思います。

より難易度を上げていくと「ある人に対して怒りがこみあげてくるが、ゆるす」、「嫌々やっているが、喜んで感謝してしてみる」、「本当はしたくないが、やってみる」などがあるかもしれません。これは仕事や家庭での実務でも生かせると思います。

行動することによって信仰が強化

なぜ実際やることが大切なのか?というと、行動と思考は相互補完関係にあり、行動によって思考が強化されるからです。実際に行動することによって信仰が強化されるのです。なぜ聖書は教会での集会をやめてはいけない、兄弟姉妹との交わりを大切にする、教会に仕えることを教えているのでしょうか。

それは、人間の信仰を守るための神様の愛の配慮だと僕は思ってます。もし神の教会というものがなければ一人で信仰生活を歩まなければなりません。可もなく不可もなく、熱くも冷たくもなく信仰生活を送るなら一人でも十分でしょう。しかし、真に主に従いたいと思う者は自分の弱さを痛いほど知っているものです。それは聖書の求めるところが如何に高いかを知るからです。

主の助けが必要

と書きつつも実践してみるとわかりますが、AGERE CONTRAをするには主の助けが必要です。なぜなら、僕の肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは際限がないからです。だからこそ、その代わりに、主のみ旨を行うことで霊のことを思う者になりたいと思っています。

ヨハネの第一の手紙 2:16
すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。

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