御言の宣言が日常を動かすとき | 祈りが実る過程を振り返る

御言の宣言の力

最近、御言の宣言の力を体験しています。自分自身、環境、状況に変化があったことが何度かありました。これまではそんなことあり得なかったのにと思いめぐらせていると、いつかのデボーションのノートにそのことが書かれていることに気づきました。御言の宣言には確かに力があります。

主は祈りや御言の宣言を聞き流してはおられなかったのです。覚えていてくださったのです。そして主はご自身の時に合わせてそれを速やかに実行してくださったのです。

普通に生活できているし

今年に入ってから僕は何が何でもデボーションの時間を死守しています。イレギュラーなことがあり決まった時間にできないことがあっても嫁さんに一言、言って一人部屋にこもらせてもらっています。

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以前なら「まぁ1日くらい大丈夫だろう。普通に生活できているし。」と思っていました。誤解を恐れずに書けば別に祈らなくても聖書を読まなくても普通に生活はできるのです。しかし、それが霊的かどうかはまた別の話です。霊的な戦いでは負けてしまっているのです。もし肉の目で見るなら、デボーションの時間など気にする必要はありません。

自分の心の中

一人部屋にこもって聖書読み、祈り、礼拝すると霊が活性化します。聖書の御言によって立つことができ、恵まれるのです。そうして部屋から出てくると子供が「おとうちゃん、お祈りしてた」と言ってかけよってきます。僕はこの時間を何としても聖別するという生活がこどもに良い影響を与えるのだと思いました。

デボーションの時間を死守するようになって、自分の心の中が変わりました。自分の心の中で波風が立たなくなったのです。そうすると、口から出る言葉が変わるようになりました。言わないでおれるようになったのです。

口から出るものが人を汚す

聖書にはこのようにあります。

マタイによる福音書 15:11
口にはいるものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」。

僕はずっと自分の心に縛られていました。思いたくないことを思い、言いたくないことを言い、そして悪い実を結んでしまっていたのです。しかし、主との交わりを優先することで、主が僕の心の中を支配される時、僕はそうったことから解放されるのを感じたのです。

霊的に負けているかどうか

何度も書きますが、確かにデボーションしなくても生活はできます。しかし、それはもう霊的に負けてしまっているのです。霊的に負けているかどうかは自分の心の中を見ればわかります。しかし、御言を宣言し、祈るならば主はそれを必ず聞いてくださっています。

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