ドキュメンタリー
先日NHKの番組で「ばっちゃん~子どもたちが立ち直る居場所~」というドキュメンタリーを見ました。保護司としてお腹のすいた子どもたちにごはんを提供するだけでなく、こどもたちに寄り添う姿にすごく心が動かされました。広島のマザー・テレサとも言われているそうです。
息をするがごとくに、当然のように湧き出てくる愛の力には夜回り先生に近いものを感じました。これまで300名以上のこどもたちがばっちゃんのもとを巣立っていきました。非行から立ち直ったこどもたちが親となり、子どもたちに愛を注いで次の命につながっているのです。
非行の根っこには空腹がある
ばっちゃんは長年の経験から「非行の根っこには空腹がある」と確信されたようです。こどもたちはお金がなくなってお腹がへると万引や恐喝などをする。そして、お腹がへると正しく思考できなくなり、善悪の判断もつかなくなり犯罪を犯してしまうというのです。
番組の冒頭でそれを聞いたときに、僕はそんなことはあるのか?と思っていました。しかし、番組が進むにつれて、こどもたちはインタビューで実際にお腹が減っていたから犯罪を犯してしまったと口々に言っていました。この番組を見て、僕は本当に何もわかっていないと痛感しました。自分の生き方を軸にして周りの人生を見て、自分の主観によってでしか見れていなかったのです。
助けてという声
このばっちゃんは強い優しさを内包しており、こどもたちが次々と引き寄せられてきて、ばっちゃんの食堂が心の居場所にもなるということです。お腹も満たされて、心も満たされる。そんな場所がこどもたちには必要だというので、そういった活動を何十年とされています。
番組の取材班が「どうして続けられるのですか?」との問に対して、ばっちゃんは「わからん」と言っていたのですが、ある時、こんなことをばっちゃんがゆったそうです。「こどもに『助けて』と直接いわれたことのない人にはきっとわからない」と。
魂の助けてという声
僕はこどものこういった声を聞いたことがありませんから、続けられる気持ちもわかりませんでした。そして、自分がクリスチャンとして神様のために何かしたいと思う心がまだまだ肉的であるのは、まさに魂の「助けて」という声なき声が聞こえていないからだと確信しました。
神様の御心を知りたいとは口では言うけれど、神様の御心とは十字架で命をすてるほどの情熱なのです。だから、このように祈りたいと思いました。「僕には周りの人の助けてという魂の声が聞こえません。どうかあなたの御心を僕の心として、魂の痛みがわかる人に造り変えてください」と。