0008_ウィダーインゼリー的にマナ摂取

以前、自分に対して負荷テストをしたことがあります。それは、毎日野菜たっぷりのビーフンだけで生活するという負荷です。結果は、たった一週間で終わりました。もうしばらくビーフン食べたくありません(笑)。

3日目くらいまでなら、まだ負荷テストに耐えられていることに満足して楽しめるけど、4日目くらいになると、ちょっと食べるラー油をかけてみたり、5日目になると、カレー粉で味を変えようとか、許容範囲内と思える甘えが出てきます。

そして、6日目くらいから、もう今晩は天下一品の「こってり」や!と決めて、帰り道にラーメン食べて、負荷テストは「あっさり」終わりました。そんなことを思うと、マナしか食べれなかったイスラエル人と同じ気持ちです。マナに比べたら、野菜たっぷりのビーフンとか豊かすぎます。

マナとは?
露が乾いたあとに残る薄い鱗、もしくは霜のような外見であり、コエンドロの実のように白く、蜜を入れたせんべいのように甘いとされる。早朝に各自一定量ずつ採って食べねばならず、気温が上がると溶けてしまう。また余分に採取することも許されず、食べずに置くとすぐに腐敗して悪臭を放つ。ただし安息日には降ってこないので、その前日には二倍集めることが許されている。カナンの地に着くまでの四十年間、イスラエルの民の食料だった。

引用元:wikipedia.org

マナの性質で面白いのは、「早朝に各自一定量ずつ採って食べねばならず、気温が上がると溶けてしまう。また余分に採取することも許されず、食べずに置くと、すぐに腐敗して悪臭を放つ」ということ。イエス様はこのようにおっしゃりました。

わたしは命のパンである。あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である。
ヨハネ6:48-51(口語訳)

イエス・キリストご自身である命のパンを、早朝に各自一定量食べる。そして、それは、余分に摂取できないので、決して食べ溜めはできないということらしい。

僕は意志薄弱の塊だから、早朝のマナ取りが完全に習慣化されていません。だから、寝坊して早朝に読めない時は、ウィダーインゼリー的にマナを摂取できるように、自分で録音した聖書の御言を聴いています。

でも、やっぱり、早起きして、黄金の時間を神様にお捧げして、テーブルクロスを敷いて、大きな白いお皿の上にマナを置いて、フォークとナイフでゆっくり頂きたい。

それを目指しつつ。