0156_安逸の場所より緊張感のあるほう

キリストと共に生きる決心をしたということは、つまり、これまでの古い悪しき生活から離れて神に頼る生き方をすることだと思います。イスラエル民族が奴隷であったエジプトの地から脱出したように。

しかし、脱出したのちは荒野での生活が待っていました。神はそこで、わがままな要求をする、言いたいことを何でも言うイスラエルの民を超自然的な方法で荒野で養い続けられました。

今日の私たちの日常生活もきっと同じでしょう。毎日、自分の欲や自己中心的な考えをキリストとともに十字架にかける、悔い改めの日々を過ごします。その過程は痛いものです。

ただし、救われる前の古い悪しき生活に戻るよりは、わたしはその生活を選びます。詩篇の作者はこのように歌っています。

あなたの大庭にいる一日は、
よそにいる千日にもまさるのです。
わたしは悪の天幕にいるよりは、
むしろ、わが神の家の門守となることを願います。
詩篇84:10(口語訳)

欲望の限りを尽くすことのできる悪の天幕はおそらく居心地がいいのでしょう。しかし、それよりも、神の家で門守、つまり、門番、兵隊のような位置で緊張感のある日々を生きることを選ぶと歌っています。

決して安逸の場所ではないけれど、神と共に生きるという喜びを選び続けます。