小さな子供が「イエス様大好き!」
僕は37歳のおっさんでアラフォーでええ年こいていますが、イエス様が大好きです。小さな子供が「イエス様大好き!」とか女性が「イエス様愛しています!」というのは微笑ましくて絵になります。しかし、おっさんが同性のイエス様に対して、低い声で「イエス様大好き」というのは、正直映えないし、控えめに言って異様な気もします。
しかし、その異様さを伴ったとしても僕は恥を忍んで、声を大にして言いたいのです。「イエス様大好き!」と。
イエス様がすべてのすべて
「そんなことわざわざテキストにして書くなよ!」と思われるかもしれませんが、僕は嫁さんよりも子供よりもイエス様を愛しています。こんなことを書くと「なんて冷たいやつなんだ!」と言われるかもしれません。しかし、クリスチャンであればそれは当然のことです。
なぜなら、クリスチャンは「イエス様がいちばん」と賛美し、また「神を第一にする」と宣言して生きているからです。イエス様はこの地上の何物にも代えられません。それは大切な人であっても同じです。イエス様がすべてのすべてです。救いは心の中で確かに起こった最も価値のある出来事です。
イエス様の救いと愛だけは完全
イエス様が僕を救ってくれたからこそ僕は嫁さんを愛して子供を愛することができます。しかし、もしイエス様がいなかったら僕は嫁さんや子供を愛することは決してできなかったでしょう。今でも正直たいがいですが、今以上にもっとやばい旦那であり父親になっていたと思います。
もちろん愛するといっても完ぺきではありません。時に嫁さんや子供に愛のないことを言ってしまったり、してしまうことがあります。しかし、僕は決して失望しません。なぜなら、イエス様の救いと愛だけは完全だからです。
その救いと愛にすがりつくこと
僕にできることはその救いと愛にすがりつくことだけです。37歳にもなって、人格、品性、資質においてほとんど成長の見られないおっさんは今日もイエス様にこう祈ります。
「今日も余計なことを言ってしまいました。イエス様赦してください。そして、あなたの愛によって嫁さんや子供を愛せるように日々助けてください。」
もしかしたら、「もういい大人なんだから家庭を治めることくらい自分で頑張れよ」と思われるかもしれません。しかし、これが僕の現状のありのままの姿です。それであってもイエス様はすがりつく僕をないがしろにされません。むしろ、いつも助けてくださいます。
だから今日も声を大にしていいます。「イエス様大好き」