一人で海外に行ってみたらいい
ここ数年、多様性という言葉がよく使われるようになりました。実際に生活していても多様性を感じることがあります。ひと昔前までは日本には日本人とわずかな外国人しかいなかったですが、今では生活のあらゆるところで外国人を見かけるようになりました。
そして、外国人がいるところに文化も定着しますので、たとえばハラールのお店や東南アジアの物産を扱った専門のお店もたまに見かけます。在日外国人に関して嫌なニュースを見ることがあります。それは、一部の外国人を見て、すべての外国人を排斥するような言動があるということです。そんな人は一度一人で海外に行ってみたらいいと思います。
罪から解放されている状態
一方で、多様性が間違って使われている場合もあると思います。それは、多様性を尊重するということはつまり「何でもいいよね」という考え方です。当然、人には自由の権利があります。しかし、その自由を間違って理解すると人間は欲望のままに進んでいくだけです。そもそも、自由をコントロールできる人間などこれまで一人も存在しなかったと考えるほうがいいです。
本来自由とは、束縛やルールから解放されて好きなように何をしてもいいというものではありません。聖書がいう真の自由とは、束縛やルールから解放されている状態ではなくて、罪から解放されている状態です。自由とは奴隷が得るものです。
人を根本的に満たすもの
奴隷の状態のままで、自分が自由だと思っているものに何の価値があるのでしょう。それは欲望のままに進んでいくだけです。真の自由は奴隷から解放された状態です。解放された人は、自身が奴隷の状態でいた時のことをよくわかっています。だからこそ、奴隷から解放されたその状態で十分だと感じます。
奴隷から解放されて、さらに「あれもしたい。これもしたい。」とはならないのです。なぜなら、イエス様の十字架の救いはそれほどに人を根本的に満たすものだからです。
あなたをキリストから引き離すものではないか?
ともすれば、現代は何が罪で何が罪ではないのか?がわからなくなっているような時代かもしれません。聖書にはっきりと書かれているものもありますが、僕がわかりやすいと思っているのは、「それはあなたをキリストから引き離すものではないか?」という自問がいいと思っています。
なぜなら、誰でも主との親しい交わりをしながら罪を犯し続けることはできないからです。