1604_「原子雲の下を生き抜いて 長崎・被爆児童の80年」というドキュメンタリーを見て

地獄よりもさらに地獄

最近、NHKスペシャルで立て続けに「広島グラウンドゼロ 爆心地500m 生存者たちの“原爆”」と「原子雲の下を生き抜いて 長崎・被爆児童の80年」というドキュメンタリーを見ました。これまで原爆の悲惨さは知っていたつもりでしたが、どこか、もう知る必要はないものと思っていた自分を反省しました。

原爆体験者の口から語られる原爆による悲惨さは僕が知っていた地獄よりもさらに地獄であったということを知りました。特に戦後80年経過しても、80年間ずっと苦しめ続けているという事実に衝撃を受けました。

つかの間の平和

人は状況に変わるものです。戦争の悲惨さを見た時は「平和」と叫びますが、自分の生命が危機にさらされると「抑止力」という言葉を使って核兵器を保有することを正当化します。しかし、核兵器に関しては状況によって意見が変わるものであってはならないと改めて思いました。

多くの人はこういいます。「第二次世界大戦後、大きな戦争がなかったのは核抑止力があったからだ」と。しかし、僕は違うと思います。このつかの間の平和は核抑止によってもたらされたのではなく、グローバル経済による大いなる安定によってもたらされたものだということです。

人は状況によって変わる

だから、これからも核兵器を保有し続けるだけで平和が続くとは思わないほうがいいと思っています。それは、大いなる安定から大いなる不安定になる時に、核抑止がきかなくなる可能性があるからです。

歴史を見るとドイツのハイパーインフレーションやアメリカ発の世界恐慌が端を発して第二次世界大戦が勃発したことはまだ記憶に新しいです。もちろん、経済的な危機だけによって戦争が起こるわけではないですが、経済は生死と直結しており、生きるためには戦争も厭わないということになりかねないからです。人は状況によって変わります。

昔の話だと切り捨てないで

ドキュメンタリーで原爆体験者がこのように言っていました。

「昔の話だと切り捨てないで。またあってはならないけれども戦争が起きたら、どうすべきかは話の中(体験者の話)から受け取ってほしい。そうしないと、訳わからんやろ。今だって訳わからんじゃない。爆弾が落ちてくるなんて。とんでもない話だ。爆弾落ちてきたら、家も何もぐちゃぐちゃになる。みんな死んでいくばかりだもんね。」

文明の進歩によって人は変わったのでしょうか?平和のための核による抑止は今後も続くのでしょうか?僕たちは本当に訳のわからないことが突然起こる世界に生きているのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)