凧揚げをしよう
お正月は実家に帰り家族が集まりゆっくり過ごすことができました。ただ子供は家の中にずっといるだけで時間を持て余しています。そこでお正月らしく「凧揚げをしよう」というので買いに行く事になりました。凧といえばお正月の風物詩で僕はコンビニでも売っているだろうと思っていたのですが、入手が非常に困難であることがわかりました。
近所のコンビニや比較的なんでも売っているドラッグストアに行っても売っていません。それから自転車に乗って100円均一に生きましたが営業していませんでした。そのまま、商店街の玩具店、ダイエー、イオンなどを次々とめぐりましたが、お店が開いていないか販売していないかのいずれかです。
新年から責任
僕は新年から責任を感じていました。なぜなら帰省前イオンに行った時に嫁さんが「アンパンマンの凧揚げを買おう」と言っていたからです。僕は「フレームが長くて邪魔になるからやるなら帰った先で買ったらいいよ」とゆってしまっていたのです。
そんなこんなで極寒の風の吹きすさぶ中、自転車であちこち探し回ることになったのです。幸い5、6店舗めぐったあとで昔ながらの玩具店が開いていて凧揚げを買うことができました。僕はただただ神様に感謝しました。
モラトリアム期間
凧探しを無事に終えて一安心して実家に自転車を走らせました。移り変わる景色を見ていると様々な思い出がよみがえってきました。そのほとんどは、高校生時代に友達と遊んだ日々のこと、あとは人生のモラトリアム期間を過ごした時のことでした。
僕の人生には浪人をしていた時期と無職の期間がありました。合計で2年ほどの期間ですが、この2年間ほど研ぎ澄まされてエネルギーに満ち溢れていた時期はないだろうと思っています。その理由としては、明確な目標に向かって生きようとする活力、あとは、社会のどこにも属していない不安が与える強烈な緊張感があったからです。この社会のどこにも属していない不安というのはよほど高度な想像力を駆使しない限り、サラリーマンが味わうのは難しいです。
無職の期間はお金もなくて節約するから肉体はみるみる無駄な脂肪を落としていました。無職というだけで自分にゆるしを与えられなかったので、早寝早起きの禁欲的な生活をしていたように思います。目標に向かって無我夢中で勉強する中で精神も研ぎ澄まされていきました。そして何より社会のどこにも属していないという強烈な不安は僕を神様のほうへ向けました。
あえて、この表現を使いますが、イエス様はいつも僕の友であったと思います。僕の故郷であるこの街にはイエス様との思い出がたくさん詰まっています。いつもイエス様は僕と共に喜び、楽しみ、悲しみ、寄り添ってくださっていました。
新年、実家で過ごすことで自分の原点に立ち返ることができました。今の僕があるのは100%イエス様のおかげです。