真に追求すべき多様性
先日コンビニに行ったら、どこからから中国語が聞こえてきました。どうもお母さんが子供に中国語で話しているようでした。日本はインバウンドで外国人が多いですが、以前よりも増して、身近に住んでいる外国人が増えたように思います。十数年前であれば韓国人、中国人、それが今は、ベトナム人、ミャンマー人、タイ人など変化しつつ、増加傾向にあります。
街を歩いていても、アジア系の若者が歩いていて全く聞き取れない言語で話しているというのをよく耳にするようにないました。僕はこのような変化を嬉しく思っています。これこそが真に追求すべき多様性だと思っています。「幸せになりたいから」と憲法13条を持ち出してなんでも多様性というのは間違っていると僕は思っています。
高度な日本語能力が要求される
教会にも技能実習生の方が来られていて、個人的に交流しています。先日はミャンマー料理のモヒンガ―という面料理を一緒に家で作って食べました。話を聞くと仕事が大変のようでした。単純作業を要求されるけれども、一定の言語能力を要求される。
これはつまり、通常業務では日本語はほどんど話さないけれどスポットで高度な日本語能力が要求されるということです。彼ら彼女らにとっては、相当難しいことだと言っていました。
先細りは避けられそうにない
日本は技術交換という建前で外国からの技能実習生を呼び込んでいますが、人数を増やしたとしても、人口減少に歯止めがかかるというわけではなさそうです。日本の人口減少は既に起こった未来であり、これからどのような施策を取ったとしても先細りは避けられそうにありません。
日本政府は移民、難民の受け入れには消極的であり、また移民に対してごく一部の偏った報道が大々的になされることもあり、移民に対してネガティブなイメージが形成されています。
日本人には外国人を受け入れるマインドや文化はない
移民は受け入れないけれども労働力としての外国人はほしいという考えもあると思います。しかし、僕は日本人には外国人を受け入れるマインドや文化はないと思っています。その理由としては、そもそも日本は一つの文化しかもっていないからです。
たとえば、中国は一つの国です。しかし、55の民族がいるとされており、実際は数百以上の民族、言語が存在しています。中国人は北京語(普通語)を共通語として使いますが、自分の生まれ育ったローカルの言語も使い分けているということです。たとえば、北京出身の人は上海語や広東語は聞き取れないのです。中国にいた時も、中国人が中国人の話していることが聞いてわからないという場面がよくありました。
日本に来てよかったと思ってほしい
日本で日常レベルで当たり前のように外国語が聞こえるようになってきたのはまだまだここ十数年だと思います。問題は日本人が受け入れられていると思っているだけで、体制もマインドも全く受け入れられるようになっていないということです。
僕がすべきことは、興味を持つこと、話しかけること、そして日本で一緒に時間を過ごすことだと思っています。それは、少しでも、彼ら彼女から日本に来てよかったと思ってほしいと思っているからです。