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なぜブログなのか?
今日はブログのナンバリングが1111となったので、少しこのブログについて書こうと思います。最初に書いておくとこのブログはトラフィックが稼げるような誰かのためになるような内容はなく、おっさんがただただ日々感じたことをつらつらと書いているだけのものです。
「それなら、個人的な日記に書け!」とおっしゃる方もいるかもしれませんが、「書かないといけない」という状況を作るにはパブリックな環境に身をおいたほうがいいと考えています。
ブログではネガティブなことは書けない
日記にしてしまうと自分しか見ないので、ネガティブなことだって書けてしまいます。しかし、ブログとなるとパブリックである以上、書く前に自制心が働きストップがかかります。つまり、ネガティブな状態では書けないということです。
これは僕を主に向き合わせてくれるいい仕組みとなりました。ネガティブな感情や思いを主にあって感謝や恵みに昇華して書き出す仕組みがこのブログであると考えています。昨日書いたような日ごろの出来事でさえも主との関係が良好でないと僕には書き出すことすらできません。
書けない時の心の状態
一年を通してそんなに頻繁に感じるわけではありませんが、時には「もうブログ書きたくないな」とか「面倒だな」と思うことがあります。しかしそういう時はだいたい心の中で誰かを赦せていなかったり、苦々しい思いを抱いていることが多かったです。
ようは、書けるか書けないかは自分の心の状態を表しているのです。書けるときは心の状態がいい時であり、書けない時は自分の中に悔い改めないといけないことが自分の中にあるということです。
自分を正しい方向に向けさせるツール
もし、このブログが自分になかったら、悔い改めるべきことに気づけなかったり、悔い改めが遅くなってしまっていたことがあったかもしれません。
もちろん、多くの人は個人的な日記で自分の内面を向き合い、それによって悔い改める習慣があるかもしれません。ブログにしろ、個人的な日記にしろ、自分を正しい方向に向けさせてくれるサポートになるものであればなんでもいいのかなとも思います。
僕はいつでも自分に自信がないので、このブログもいつ終わるかわかりませんが、僕が主につながり続けている間は続くのだろうと思います。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
ヨハネ15:5