1378_半年ほどの無職の期間を過ごして思ったこと

失業手当をもらいながら生活

僕は30代にもなって時給800円のアルバイト生活をしていたこともありますが、社会人になってからも半年ほど無職の期間を過ごしたこともあります。新卒で入ったメーカーを2年半ほどで退職し、日本語教師の資格を取るために勉強していた時期でした。

当時は実家に帰り失業手当をもらいながら生活していました。当時僕を驚かせたのは税金です。前年度の収入に準じて税金が徴収されるため無職と言えども容赦ありません。失業手当の大部分は市民税と住民税でほとんどなくなったと記憶しています。

生きているだけでお金がかかる

その時僕は当たり前のことを思いました。それは、生きているだけでお金がかかるということです。それから考えを膨らませていってこのような結論に至りました。僕は頭が振れ切っているので、多くの人はこんな考えをする人はほとんどいないと思います。

それは、「人はすべからずこの地上に生まれた時点で巨額の借金を負っている」というものです。

どういうことかというと、親元を離れる20歳前後から生きるために生活費がいります。単純化して生活費20万/月で年間240万円、70歳まで生きるとして1億2000万円かかるということです。これは娯楽などは含まていません。ただ税金と最低限の衣食住を満たすためだけでも1億2000万円は生きるために必要なのです。

自分の将来に対しては借金を負っている

ある人は家を買います。そうすると何千万円という大きな借金を負うのですが、実はそれは借金を固定化、見える化しただけにすぎません。持ち家と賃貸とでは柔軟性やリスク耐性において、圧倒的な違いがありますが、将来払う借金に関してはほとんど変わりません。

すべての人は生きるためには路上生活でもしない限り必ず住居が必要になります。仮に家賃6万/月で年間72万円、50年生きると3,600万円かかります。つまり、今借金しないにしても将来はデフレにもならない限りは必ず3,600万円は払わないといけないということです。

誰かに対して義務のある借金は確かにありません。しかし、自分の将来に対しては借金を負っていると考えるのです。

生きることが苦痛じゃなくなる

それは罪に関しても同じです。人は生まれた瞬間から罪の負債をもって生まれてきます。ある人は「キリスト教は罪を指摘するから気分がよくない」と言われるかもしれません。聖書は決して「あなたは悪い」と放置するのではなく、ではどうすればいいのか?という提示までしてくれています。

生まれた時点で追っている巨大な罪に負債は既にイエス様が身に負うてくださったのです。そして、魂が救われた今は、主が共にいてくださる喜びに満たされます。もちろん、この地上で生きる時、困難、苦痛などは避けられません。しかし、主が共にいて下さる時に苦痛は喜びへと変えられます。それが僕の体験です。

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