1115_「他人がじゃなくて、自分も」と認識するようになった

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今という時間

先日は子供を膝にのせて電車に乗って二人でお出かけしました。子供を膝に載せられる年齢も限られているので、このような体験もあと何回できるかわかりません。きっと数か月も経てば、こどもは自分で座わりたがるようになるのです。

そう思った時に、この膝に載せられる時間のありがたみを感じました。自分が子育てに参与するようになって思ったことはいつでもできると思っていることのほとんどは実はできない場合が多いのだということです。

人生は短い

「子どもの成長は早い」というのは何度も聞かされてきた言葉ですが、聞くのと体験するのとでは全く違います。本当に成長は早いです。意識的に一瞬一瞬の時間に意識を向けて、時間を惜しむように生きていかないと本当に10年、20年があっという間に過ぎ去っていく気しかしていません。子供もおそらく高校生くらいまでは一緒に住むことは想定できますが、大学進学で家元を離れるなると18歳で離ればなれになる可能性があります。

その他、過度に悲観的かと思われるかもしれませんが、僕は毎年桜を見るたびに、70歳を寿命とした場合、残り32回しか見れないと思っています。それが少ないと思うか多いと思うかは人それぞれですが、本当に人生はあっという間だと思わざるをえません。

世代は変わる

事実世代は確実に変わっています。世代が変わる速度も速いです。以前なら、この世代がいつまでも続くとでも思っていたのに、その世代の時代が終わるどころか本人すらもうこの世にはいないということを目の当たりにしています。

クリスチャン界隈で言えば、日本のゴスペルのレジェンドである小坂忠先生、日本のCS界の草分け的存在であるMEBIG創設者の内越言平先生などはもう天に召されてこの地上にはおられません。

個人的な趣味で言えば、高校生の時にはまっていたバンドであるHi-Standardのドラマー恒岡章さんが昨年亡くなりました。また大好きだったプロレスラーに関しては、三沢光晴選手から始まり、橋本真也選手、最近ではアントニオ猪木選手、吉江豊選手が亡くなりました。

自分も

年齢を重ねると、知識として当然のように理解していた「人はいつまでも存在するわけではない」ということが、どこか遠くで聞いた言葉よりもより切実さをもって認識されるようになりました。それは他人がじゃなくて、自分もと理解するようになったからだと思います。

その新しい認識によって、より研ぎ澄まされた選択と集中ができるようになって、本当に大切なことに専念することができるようになるのだと思います。

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