1114_御言と霊的な雰囲気が密接につながる時

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場所と時間

先日、一人で実家に帰ることがありました。歩くにはちょうどよい気候の中、小学校に通った道や友達とよく行った定食屋さんの前などを通りました。自身が小学生の頃となると今から30年も前のことになります。

昔は30年どころか10年ですら永遠に続くような時間だと思っていたのですが、いざ自分が年を取ると30年という期間は本当に短いと感じるようになりました。

場所と記憶

自分が育った街を歩いていると、様々な記憶がよみがえってきます。もしその場にいなかったら決して思い出せなかったような眠っている記憶がよみがえってくるのでノスタルジックな気分に浸ることができます。

このように場所と記憶が紐づいているように、御言と霊的な雰囲気が密接につながっていることがある思います。急にスピリチュアルのようになりましたが、霊的な雰囲気とは聖霊そのものであり、祈っている時や聖書を読んでいる時や集会に参加している時などの奮起のことです。

御言と聖霊

御言を覚えていても、それがいつでもすぐに取り出せるわけではありません。毎日宣言したり、祈りでよく使う御言はいつでも取り出せますが、実際はいつでもどこでも覚えた御言をすぐに引き出せるわけではありません。

頭の引き出しの中に大量に御言が入っていたとしてもそれを適切に取り出す働きをするのは聖霊そのものです。しかし、先ほど書いたように過去に体験した御言が霊的な雰囲気に紐づいていると、その霊的な雰囲気を感じた時にその御言が引き出させることがあります。

主が共にいるという体験

きっと、このような体験はクリスチャンであれば必ずあると思います。例えば「あの時道が開けたのはこの御言があったからだ
」とか「あのどん底の中で再起できたのはあの御言があったからだ」とかいう体験です。

その時にはもれなく「主が共にいてくださっている」という体験もしていると思います。なぜなら、御言は主ご自身であり、聖霊が御言によって命や力を与えてくださるからです。

復活の主

だから僕自身ただ単に御言を覚えることに専念するだけでなく、その御言と霊的な雰囲気が紐づく体験をもっとしたいと思います。復活された主イエス様が共におられるということをもっと体験したいと思います。

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