0722_クリスチャンのChat GPTとの向き合い方

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Chat GPTの衝撃

先日AIツールであるChat GPT4がリリースされました。SNSなどでもかなり話題になっています。人間でも回答に窮する変化球の効いた質問に対しても、ユーモア込めつつ正確に回答しており、本当に人間のように対話できます。さらに開発面では「組み込んでみた」とか「連携してみた」とかも既に多くあり、あらゆる場面で、これまでのやり方が覆されることがほぼ明白になっています。

使ってみると実感できますが、驚異的で異常なレベルで対話できるツールで、これを触っているだけで1日過ごせそうなAIになっています。

否定派と肯定派

新しい技術が生まれると必ず否定派と肯定派が出てきます。否定派は、不正がはびこる可能性と人間が退化してしまう可能性を危惧しているようです。例えば、Chat GPTは画像を正確に読み取ってテキストで回答してくれるので、宿題をスマホカメラで撮影して、AIに宿題をさせることもすでに「現時点」でできてしまいます。

より詳細な情報さえAIに提供すれば、論文や日記やブログまで書いてくれるので、夏休みの日記の宿題なんかももうやる必要がなくなるかもしれません。デジタルネイティブという世代がいるように、これからはAIネイティブと呼ばれる世代が生まれることでしょう。生まれた時からAIにやってもらうことを知った世代はどんな世代になるのでしょうか。

肯定派はうまく補助的に使えば、あらゆる場面で人間の創造を刺激してくれるので、より良い物が生まれるというものです。これには質問力が試されるでしょう。ようはAIに上手に質問できる人がより多く創造的な成果を効率的に出していくことになると思います。

〇〇したら馬鹿になる論

でも、これは何でもそうです。昔は漫画を読んだら馬鹿になると言われていたようです。またテレビを見たらあほになるとも言われていました。さらには、ゲームをしたら馬鹿になる。最近ではYoutubeばかり観ていたら…になるのでしょうか。しかし、結局は、どのようにツールをコントロールするかにかかっています。

自制できない状態で漫画、テレビ、ゲーム、Youtubeに時間を溶かしているなら、それはコントロールされている状態です。便利なツールは魅力的な部分が大きいので、誰でもそのようになりやすいです。だから昔から、新しいツールが出たら、馬鹿になるみたいな論調があったんだと思います。

二つの危機

僕自身も便利ツールの恩恵を受けています。テレビによって世界で何が起きているかがわかるようになりました。またYoutubeなどに良質なコンテンツがあるおかげで効率的に学習ができるようになりました。しかし、その一方で、人になる時間や一人で考える時間、さらには、神様と交わる時間という側面においては、こういった便利ツールは人間から時間を奪ってしまっているということを認めざるを得ません。

自分で考える習慣、また、神様との交わりの中で神に聴く習慣がある状態でないと、Chat GPTも僕を退化させる可能性があり、また神様との時間を減らす可能性があることを自覚した上で利用していこうと思いました。

おっさん
■適度に使おう

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