0723_クリスチャンの意思決定における2つの優位点

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意思決定で人生は決まる

人生は意思決定によって決まると言っても過言じゃありません。小さいところで言うと、毎日何を食べるか?という小さな意思決定の積み重ねによる健康や家計への影響。大きいところだと、どこに進学するか?どこに就職・転職するか?誰と結婚するか?なのです。これら意思決定によって、人生が大きく左右されます。

良質な意思決定は良質な人生に繋がります。しかし、この意思決定は容易なものじゃありません。毎日の小さな意思決定にしても、目の前に食に対する欲望や快楽を優先するのか?あるいは、長期的な目線で体型や健康を維持するために食べないのか、を決める必要があります。小さな意思決定ですら、欲望や快楽に引っ張られるとすれば、大きな意思決定の難しさはなおさらです。

意思決定は難しい

もしかしたら、誰でも「あの選択はすべきじゃなかった」とか「あーしていたら、こうなっていたはずなのに」ということがあるかもしれません。僕自身にもあります。「あの時にあんなこと言わなければよかった」とか「あの意思決定は間違っていた」などよくあります。

仕事、家庭、教会などで、自分の疲労感や気分や感情などが刻一刻と変わる中で、完璧、かつ良質な意思決定をし続けるのはかなり難しいことでしょう。最終は、だって人間だものだからです。難しい。難しい。とばかり言っていても、次から次へと意思決定は迫られるものです。しかし、ことクリスチャンは2つの点において、大きな恵みを得ていることが経験によってわかってきました。

クリスチャンがもつ恵み①

一つ目は、「神との関係がある」ということです。その時の一時的な感情の高まりによる意思決定は往々にして失敗を招く可能性があります。大切な意思決定は時間をかけて、色々な人との対話を通して、または読書などを通して、自分の大切な価値観が何があるかを見つめていく必要があると思います。しかし、クリスチャンは最終的には「祈り」と「聖書の言」によって意思決定をすることができます。

意思決定の基準は聖書に書いてあるため明確です。あとは、神のとの交わり、つまり、祈りの中で、その意思決定に従う心が整えられていくようになるのです。特に怒りや妬みや人を赦せない思いからくる意思決定は最悪な状況になることが多いです。しかし、神の愛に触れられて、悔い改めに導かれ、神との和解を体験するならば、聖書の基準に従う力が与えらえるものです。

クリスチャンが持つ恵み②

次は、「すべて神のゆるしの中で起きており、そんな中に神が共におられる」ということです。自分の撒いた種で苦しむのはとてもつらいことです。「あんなことしなければよかった」と思うことがあるかもしれません。しかし、真に悔い改め、主に向き合うならば、主はそんな中にも共におられて、「神の介入による美しさによって万事を益としてくださる」ということがあります。

クリスチャンはそんな大きな恵みに中で生かされているのです。

おっさん
■神との交わりがすべての恵みの源泉になっている

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